関東らしい、きりっと冷たく乾いた晴天が続く。数日前の予報では土曜日に雨が降るらしいという話だったが、その土曜日が近づくにつれて予報が修正されて、結局土曜日は晴天で終わった。この時期、雨の予報が出ると藤野みたいな山里は雪を心配しなくちゃいけない。いよいよこの冬最初の雪かなと思っていたのだけど。
雪は心配だけど、乾燥が続き過ぎるのも心配の種になる。特に火災は怖く、冬は季節風が吹いて火の勢いが大きくなりがちなので余計に怖い。実は、篠原で年末に火災があったのです。明け方に牧馬の道も多数の消防車が通過して、いったい何事かと思った。もう20年近く前になるけれど、牧馬からほど近い石砂山で山火事が起きたのも、確か1月だった。
年末年始は道志川沿いのキャンプ場はお客も無く静かだった。もっともこれは、キャンプ場自体が年末年始の休みを取っていたためで、この土日はまた来客が来ている。明日の月曜は祝日で連休になるし。
冬のキャンプ場では焚火をする人も多いんじゃないかと思う。よく、火災を防ぐために焚火をした後は水をかけるとか土をかぶせるとか、いろいろ対策を言う人がいるけれど、どの対策にも推奨できない問題点があるそうな。一番の基本は、キャンプ場の指導に従うということになる。
個人的には、年末年始に藤野を離れて実家に帰省したのだけど、いろいろと考えさせられた。私の実家は昭和40年代に作られた新興住宅地で、それが今ではその地域で最も高齢化率の高い所になっている。ここ数年、帰省するたびに、あの家の方が亡くなったとか、あの家の方は高齢で一人で暮らせなくなって、息子と同居するために引っ越したとか、施設に入ったとか、そんな話を聞くようになったけれど、今回はそれが特に多かった。
そんなふうに、住宅地から櫛の歯が抜けて行くように人が去っていくと、そこに次の入居者が入る事になるのだけど、それが2軒の家をつぶして3軒の家を建てる。当然、家は小さくなり、駐車場の場所を除けば庭らしい土地もない。今の世代が家を持とうとなったら、昔より一回り小さな家という事になるのだろう。
ただこれは、藤野から見ればまだ恵まれている。藤野に限らず、少し都心から離れた所になると、住宅地から人が去って行っても、新しく入居しようと言う人すらいなくなってしまう。この場合、古い家を解体して立て直そうなんて機運が生まれるはずもなく、人が住まなくなった古い家は、いつまでたっても住む人も現れずに朽ちて行くことになる。所々に、雑草だらけになった家とか、家の2階までツタで覆われてお化け屋敷みたいになった家もある。資産として管理する人もいない。
こんな光景を見るにつけ、日本が一番勢いがあって輝いていた時代の遺産が、どんどん朽ちて行くなぁ、などと考える。東京が膨張し、住宅地が一気に広がった時代が過去のものになり、今度は縮小に転じ始めている。
この現象を嘆くことも出来るけれど、私としては、そろそろ本気になって、次の生き方を考えたらどうだ、とも思う。先に「日本が一番勢いがあって輝いていた時代」なんて表現を使ってしまったけれど、個人的にはこういった表現は好まない。なんか、今を生きる若者たちに失礼な気がする。
一つ思うのは、ここで一度、本当に自分の心の底からやりたいと思うことをやってみたらどうだ、という事。これまで、いろいろ頑張ってきた歴史があるけれど、その多くは、外的な要因で「頑張らななきゃいけない」という状態に立たされてきた結果だった。貧しい国から脱却しなければいけない、工業力をつけなくちゃいけない、国民に高い教育水準を習得させないといけない、そのためには学校で競争させなければいけない。
勤勉に努力を重ねてきた時代が続いたけれど、それは、外からの理由で、追い立てられるように「努力させられた」時代だったろう。でもそれをひとまず置いて、心の底から自分がやりたいと思うことをやってみたら、と思う。
そんな甘い考えて、国力が増すか、と批判もあるかもしれない。ただね、世界で初めて車を作った人とか飛行機を作った人とか、義務とか必要に迫られてやった人も多いかもしれないけれど、どこか、やる事自体を楽しむ人たちが多かったのではないかと思っている。
いやいやながら、歯を食いしばって努力するより、心から楽しむ事をやった方が、未来は開けるのではないか。
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