冬至を過ぎて、クリスマスに至り、今年も残す所、一週間。この日記もこれが年内最後になる。あちこちの付き合いで、別れのあいさつに「良いお年を」と付け加える事が増えた。
相模湖のプレジャーフォレストや、清川村の宮ケ瀬湖では、クリスマスに向けてイルミネーションで飾り付け、例年通りの混雑になっているそうだけど、行楽全体でみると、この土日は車の交通も少なく静かな方だった。
これからしばらく冬らしい晴天が続くらしい。その一方で、日本海側の雪国では激しい積雪に見舞われているとか。今回の冬も早々に道路で立ち往生して何十台もの車が動けなくなる事故が発生した。あんな事故を見せられると、いざと言う時の為に、車の中に厳冬期の冬山でも通用するような寝袋でも備えなくちゃいけないんじゃないかと心配になる。
関東の冬は日照に恵まれて明るい。空気が乾燥して透き通って来ると、冬の弱い光でも、冴えた輝きを見せる。案外、一年で一番光がきらびやかなのは冬かもしれない。冬は色彩が乏しいだけに、光そのものに目が行くという事もあるのだろう。また、人間の心理として、冬の厳しく寂しい光景の時にこそ、光を求める気持ちになるというのもある。
個人的には、やりたいこと、やるべき事柄がなかなか片付かず、年内に終わらせることができなかったのが無念だ。
今年は国内的にも世界的にも不吉な年だったが、来年は一応、安定を取り戻す時期に向かうんじゃないかと思っている。ただこれは、そのまま昔に戻るという意味ではない。
いろいろと好き放題やる連中が悪事を働くような時期が収束に向かい、もうちょっとまともな人間が行動を始めるような気がしている。「まともな人間」なんてずいぶん漠然とした表現だけど、一つの例として、謙虚な人間と言う事があるんじゃないか。
何か問題に直面しても、謙虚に反省して、謙虚に分析して、謙虚に人の意見に耳を傾け、謙虚に人の協力を仰いで解決を図る。これまでの世の中、謙虚な人間って、馬鹿にされたり、なめてかかられたり、弱気と思われたり、安い賃金でこきつかってもかまわない存在と思われたりと、いい事が無かった。
その一方で、やたらと尊大だったり大口を叩いたり、「私がこうしろと言えば、つべこべ言わずにやるんだ」と反論を許さずに強引に押し切ったり、酷い場合は平気で嘘をついても「騙される方が悪い」と開き直るような人間が跋扈したのか、ここ数年か、もしくはここ数十年だった。これで世の中がうまく回るはずがない。
結局、真の問題解決能力は謙虚さの中にしかないと、多くの人々が気づき始める、その端緒が始まるんじゃないかと考えている。
基本、私は職人が好きだ。世の中、いろんな仕事があって、それぞれ必要とされているのは判っている。職人以外の職業が、職人よりも価値が低いとか劣るとか言うつもりはない。
ただ、実際に自分の手足を使い、きちんとした形を作り上げる仕事は、うそがつけないだけに、人は謙虚になりざるを得ないだろう。そりゃあ、粗悪品を平気で売りつける悪質な職人もいるかもしれないが、そういった悪徳の持主は、自然に淘汰される力学が、職人の世界には働く。
人々の大半が、実際に手足を使って何かを作り上げる仕事を軽視したり馬鹿にしたり、そういった職人に「作業を命令する」仕事ばかりをしたがるようになると、その国は精神的に滅んだと言っていいだろう。
それにしても、今の日本の物作りの現場で、経営者が現場の作業をきちんと把握できている所って、どのくらいあるのだろう。工具を握ったこともない経営陣が機械を作らせたり、建物を作らせたりしているんじゃなかろうか。人々の心が通い合わないような組織が、これから長続きできるとは思えないが。
暗く不景気な事を書いてしまったが、これからは、そういった齟齬が、少しは解消する方向に行くような気がします。
それにしても、謙虚で実力のある人が、尊大で口だけの人の為に劣勢に立たされるという世の在り方には、悲しいものがある、が。
そういう現実を許してしまうのは、日本人全体が物作り(農業も含む)から離れて、地に足を付けた暮らしから離れてしまった事が大きいだろう。
また、地に足を付けた暮らしに回帰する時期が、来るのだろうか。
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