一雨過ぎて、ぐっと冷え込んできた。丹沢では雪が降り積もり、冷えた季節風が吹き抜けていく。この風に長く当たると危険だ。やがて頭痛がし出して体調を悪化させ、寝込む羽目になる。こんな風にも負けないのが小さな子供たちで、ふざけながら屋外で駆け回り、体温を奪われるどころか、無尽蔵かと思わせるほど体の熱を外に発散させる。なるほど、風の子とはよく言ったものだと思う。
田んぼの仲間たちで餅つきをしたが、その場でも小さな子供らは駆けずり回る。餅をつく作業にもそのエネルギーを使ってほしいなと思ったが、あまりこっちの作業には興味がないみたいだ。
こんな作業をすると、いよいよ年の瀬と言う感じがする。馴染みの商店からはカレンダーをもらったり、道路沿いに冬至用の柚子の無人販売ができたり。来年の手帳を買い、今年の反省と来年の抱負を考えたり。
冬は薪作業の季節でもある。耳をすませれば、どこかでチェーンソーを使う音がする。葉を落とした木々を伐り、適当な大きさに玉切りし、それらを割って薪棚に入れる。こういった薪はこれから使うものではなく、その次の冬用になる。
現政権が防衛費を増額しようとして増税を訴えているが、私にはこれにまつわる動きに違和感がある。まず、あまりやってる事が上手に見えない。タカ派の政治家はこの流れに乗りきになっているが、とても国民の納得を得られないと感じている政治家の及び腰も目に付く。何より国民には、戦争とか武力の拡充と言うのは、結局のところ物価高の中の増税という意味しか心に残らない。今後、政府が防衛費の増額を訴えるたびに、物価高の中の増税というイメージが付いて回る。
政府の意図がどこにあるのか判らないが、あまりうまいやり方ではなかったと思う。そんな事より、少しは「民衆をどう富ますか」について考えたり、政策を訴えたりできないものか。これは野党も含めてなんだけど。
だいたい国の役割なんて、まずは民衆の生存の確保、その次は民衆を富ませる事ぐらいしかなかろう。実際、戦後の焼け野原の頃は、政治家も官僚も、次はどういう産業が主流になるのか、日本の産業のどこに問題点があって、どこを改良すればいいのか、民衆の生活レベルを上げるには何から取り組めばいいか。今よりもずっと真摯に考えて実行していたと思う。
家であれば家族がどう豊かになれるか考えるし、企業であれば、どうやってもっと利益を出せるか考えて実践するだろう。増税しか発想が無いと言うのは組織として病的な状態ではないのか。
このあたり、前から不思議だった。前述の通り、個人から家族から企業まで、豊かになると言うのは共通の願望であって努力を注ぐ目標だろう。そりゃあ中には、「私は十分に豊かだから、これ以上豊かになろうとは思わないし、その為の努力もしない」と考える人もいるだろう。でもそういう人はそういう人で、今度は趣味に時間を割くとか、物質的な豊かさとは違う豊かさを追求し出すと思う。
だから私なんかは、政治家が100人もいれば、その中の7~8割は、どう国を富ますかについて考える人とばかり思っていたのだけど、どうもそうではないらしい。そう考えて知恵を絞ったり実践する人はむしろ少数派で、大半は「まずは増税」という考え方らしい。これって企業だったら、社員の多くが「まずは給与の削減」と考えている集団みたいで、先に私が「病的」と感じた理由がここにある。
まあ今の政治は、志をもって国を富ます努力をするよりも、国が集めた税金を利権にして吸い取る事しか考えていない状態だと言い切ってしまえば、今のそんな状態も簡単には理解できるのだけど。
うーん、せめて3割でもいいから、本気で「富ませる」事を考える人が政治の現場にいて欲しいな。
企業が経済的に困ったら、業務内容を見直して、無駄の多い所を減らすとか、将来性の無いところを打ち切るとか、逆に将来性のある所に積極的に力を注ぐとか、いろいろやり始めるだろう。これは小さな家庭だって同じだと思う。
あー、でも、経済的に困った企業でも、何も新しい事を使用とです、給与の削減とか社員の首切りだけで乗り切ろうとする所もあるんだろうな。そんな状態に陥った企業と、今の日本の状態が同じとは考えたくないけれど。
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