2022年 12月11日

 季節は明らかに冬に入った。ぴりっと乾いた冷たい風が吹きぬけていく。前回の日記で、近年は干し柿を作ろうとしても、秋が暖かすぎて干し柿が作りにくい、という事を書いたけれど、昔はこんな冬の訪れがもっと早かったのだろう。こんな寒風が常に吹きぬけていれば、柿も虫がついたり腐ったりはしないで、順調に乾いて粉をふくと思う。

 朝に、木々に霜が張り付くようになると、もう最後まで粘って木に張り付いていた葉っぱも落ちていく。冬の陽は低く、弱弱しく、日照時間も短くなった。おまけに山里だと、陽が山に隠れがちなので、日の出から日の入りまで日光が当たる家なんて、まず望めない。午前はまあまあ陽が当たるが午後は当たらないとか、その逆とか、真昼時の数時間しか陽が当たらないとか、どこもそんな感じだ。洗濯物や布団を乾かすのも苦労する。

 意外だったのがキャンプ場の賑わい。確かにここ1~2年、冬でもキャンプ場に客が来るようになったな、とは気づいてたけれど、道志川の川沿いのキャンプ場に多くの客が来ている。そりゃあ真夏の最盛期程の入りではないけれど、夜になると、道志川沿いのキャンプ場にテント泊の灯りがともり、まるで道志川沿いに新しい町ができたかのような光景になった。あえて冬にキャンプをすると言う人が、一定数いるんでしょうね。

 この1年を振り返ってみると、もういよいよ変えなければならない所に来ているな、と思う事が多かった。ただ、じゃあ変えるのが今かと言えば、ちょっと先だと思う。誰の目にも「もうこれは変えざるを得ないでしょう」と思う状態になった時に限って、まるで時流を読む能力を無くしたような存在が、知性もヘチマもないような抵抗をして、変えようとする人々を叩き潰そうとする。幕末の新選組なんて、そんな存在だったんじゃなかろうか。

 古い世界には、もう人々を幸せにする力は無い、むしろ人々を不幸にさせる事しかできない。じゃあ、真に人々を幸せにする世界とは、どうのようなものなのか。そんな思いや意見が世間から吹き出るようになると、変わり始める力は止められなくなる。今は未だ、真に人々を幸せにする世界の形が、イメージできていないので、体を小さく委縮して、物価高に耐えているだけに過ぎない。

 その一方で、世の中の形を変えまいと頑張っている人々の中に、知性を残している人が消えて行った。以前だったら、そういう人々の中にも知性を感じさせる人が大勢いたのに。

 知性が無いだけに激しく考えも無い抵抗をするが、流れを挽回するための合理的な案を生み出す力は無い。これもいずれ消えていくしかなくなる。

 とにかくこれから1~2年、世の中の変化を許すまいと頑張る人々が自壊していき、「もはやここまで来た以上、変えざるを得ないでしょうな」と思う人々が、知恵を絞るしかなくなる世の中へと、移行していくんじゃないかなぁと、予想しています。

 今年は元首相が暗殺されると言う衝撃的な事件が起こった年だけど、不思議なことに(これは私の印象にすぎないのだけど)、この事件が与えた影響と言うのが、非常に少ない。普通だったら、この事件を機に、このような事件の再発を防ぐための、国民を監視する機関をつくらなければならないとか、無茶な強権政治の実現を画策する流れが生まれると思っていたのだけど、それを感じさせる気配が無い。また、この元首相の衣鉢を継ごうと声を上げる勢いも、今のところ感じさせない。静かに委縮しながら、小さく存在感を失いつつあるように見える。

 これも、何か理由があるのだろう。

 もう一つ、変わり始めるのは1~2年後かな、と私が思っているものに、電気自動車の普及がある。今は未だ、新しいものが好きな人々が飛びついて、実験的に使っているような状態だけど。

 ただこれも、誰がどう考えても、電気自動車を使った方が得だ、と考えるようになったら状況は一気に変わる。安い軽自動車で、電気自動車が出始めるようになると、そろそろ変化が始まる時期が来ると思う。

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