今年の紅葉は、まあまあ綺麗な感じだけど、紅葉が始まったのが少し早い気がする。そして、同じように散るのも早いような印象がある。上の写真は、前回の日記と同じケヤキだけど、一週間でご覧の通り。黄金色に輝いていた葉っぱも、雪のように次々と舞い散っていく。いつのまにか道路の両側は溜まった落ち葉でいっぱいになっている。
こんな落ち葉は、畑をやっている人たちが収穫に来る。袋に詰めては軽トラで持っていく。これから時間をかけて堆肥にしていくのだけど、こういった方々いるおかげで、道路が綺麗な状態で保っているわけだ。さもないと、落ち葉も行政が税金をかけて除去するようになってしまう。
夏場の、道路わきの雑草は、行政が税金を払って除草しているが、何十年も昔なら、各家庭が牛やら山羊やら飼っていて、その餌として道路わきの雑草は奪い合いの対象だった。そんな時代が再び来ることは無いとは思うけれど、山の自然とその土地の文化が上手くかみ合っていたら、極力税金を使う事もなく問題が解決する世の中になるんだろうなぁ、とは思う。
まだそれほど冷え込みは厳しくないけれど、山は徐々に冬景色に近づいてきている。ただキャンプ場は、相変わらず冬らしくなく、お客が多い。むしろ真夏より多いのではないか。
実は今年の夏のキャンプ場は、特に混んでいるという感じではなかった。これは、疫病の影響が一段落して、近場のキャンプ場ではなく、もっと遠い所に旅行に行くようになったからではないかと私は思ったけど、晩秋のキャンプ場を見ると、どうもそれとは違う現象があるのかもしれない。
私は、キャンプ場の最も似合う季節は夏だと信じて疑っていなかったけれど、もしかしたら、そんなイメージはもう古いものになっているのではないか。私のような古い人間には、川遊びの出来ない夏以外の季節にキャンプなんてしようとも思わないけれど、既にキャンプ好きにとっては、キャンプは一年を通して楽しむものになっているのかもしれないね。
「むしろ暑苦しく蚊や虫がいる夏よりも、それ以外の季節の方がいい」という人もいるかもしれない。ネットの検索で「冬用」と打ち込むと、合わせて「シュラフ(寝袋)」とか「テント」という言葉も勧めてくる。当然、その言葉で検索する人が多いのだろうし、そのことが秋のキャンプ場の人の入りに現れているのだろう。
10年も前だったらなぁ、晩秋や、ましてや冬のキャンプ場なんて、人っ子一人いないくらい閑散としていたものだけどな。
キャンプ場で売られる薪には2種類あって、一つは煮炊きの火に適した針葉樹の薪。これはパッと簡単に火がついて燃え上がるが、燃え尽きるのも早い。もう一つは広葉樹の薪。これはなかなか火をつけるのが難しいが、一度火がついたら長く燃え続ける。これは煮炊き用の火としてよりも、焚火なんかに適している。やはり秋からは、後者の広葉樹の薪がよく売れるようだ。
またネットの検索の話だけど、「焚火」で検索すると、真っ先に「焚火台」という言葉を勧めてくる。金物で簡単に組み立てられる、焚火専用の台のようなもので、煮炊きにも使えるものもある。(こんなやつ)
こういった商品、私は使ったことは無いけれど、いずれもこじんまりとした可愛らしい造りだね。家族で静かに火を楽しむのなら、この程度の大きさがちょうどいいのだろう。
日頃、薪ストーブ用の薪を作ったりしている身になると、薪ストーブ用の薪はとてもこの焚火台には使えないなぁと思う。薪ストーブ用の薪なんて、大人の太ももくらいの太さで、ずっしりと重い薪を使うからね。一本くべれば1時間は熱を発するようなゴツイ薪が重宝される。こんな薪を、前述の焚火台に置いたら、台ごと倒れそうだ。
いや、決して焚火台を馬鹿にしているのではないですよ。
焚火台は焚火台として、キャンプ場で楽しむのに最適な大きさと機能を持っている。そこに薪ストーブ用の薪を引き合いに出す方が間違っている。
晩秋の山中で、静かに火を囲んで談笑するなんて、いい時間の過ごし方だと思います。こういう楽しみを実践する人が増えたというのは、いいことなんじゃなかろうか。
年をとると、「最近の若い者は」と言うのが口癖になり、世の中は年々悪くなっていくと考えてしまいがちだけど、そうだろうか。静かな晩秋のキャンプを味わう人が増えているというのは、かつてより、日本人が上品になっている可能性だって、あるかもしれない。
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