2022年 11月6日

 今年の紅葉はまあまあ綺麗な方だと思う。紅葉が綺麗になる条件は、夏に十分に日差しがあって暑く、秋になって冷え込んで、寒暖の差が激しいことだと聞いたことがあるけれど、さて、そんな条件通りの年だったかなぁ。山全体ではまだ緑の面積がずっと多いけれど、これから冬景色に近づいていくのだろう。木によっては既に葉っぱを落とし尽くしたものもある。桜とか梅とか、なんであんなに葉を落とすのが早いんだろう。

 美しい紅葉と言えばカエデが真っ先にあがるけれど、最近、ケヤキの紅葉が美しいと感じるようになった。黄色く黄金色に色付いたり、渋い橙色になったり赤くなったり。風が吹くと雪のように葉がキラキラと光りながら舞い降りるのも美しい。

 ケヤキは今でもそこらに普通に生えているし、大木もある。ただ、建築用の構造材としてはすっかり使われなくなった。かつては、山里の古民家の大黒柱なんて、みんなケヤキだったけどね。

 家の周りに普通に大木になるケヤキだけに、うっかりすると、育ち過ぎて、枝や幹自体が家に倒れて来る心配をする羽目になることがある。最近は山里にも空き家が多くなり、家の側の木が知らないうちに大きくなりすぎて危険になり、特殊伐採をお願いする場合もあるようだ。特殊伐採って、クレーンで吊るしながらの作業になったりして、なかなか高価になる。

 そんなケヤキも、結局、薪ストーブの薪くらいしか使い道は無いかなぁ。そりゃあ、本気で使おうと思えば、住宅の大黒柱にも、家具にも使える良材だけど、そういう部分に使う木って、枝やこぶの無い、素直にまっすぐな状態の幹からじゃないと取れない。普通に山に生えているケヤキをよく見ると、一見大木だけれど、材として使える部分が見つからない木も多いんですよ。

 それにケヤキって、曲がりやすい木でもある。伐採して製材所で製材しても、経年で曲がる事が多い。曲がらないケヤキを見極める目を持った専門家(山師)なんかが昔は沢山いて、「このケヤキは神社仏閣の材にも使える」とか、いろいろ指導していたんだろうなぁ。

 あと、街路樹なんかにも多く使われるケヤキだけど、街路樹を伐採する時とかで、「この木を有効利用できないか」と考える人も多いとは思うけれど、街路樹の木って、たいがい、釘とかワイヤーとかが木の中に入っていたりするんですよね。それが、製材所で切る時に葉を痛めることがある。街路樹の木って、「迷い犬を探しています」とか、看板を付ける事が多いので、そりゃあ釘やらワイヤーが埋まっているはずだ。

 製材所の方の話を聞いたことがあるけれど、神社に生えている木にも、けっこう釘があるらしい。これも看板が多いからだと思うけれど、まさか藁人形が原因ではあるまいな。

 山の木を有効利用すればいい、という話は昔からある。しかし、真に有効利用がなされていた昔は、今とは比較にならないほど、山の木の性質をよく知り、丁寧に使い切っていた。今はそんな伝統はほとんど無くなっている。

 山師が山を巡り、「これは素性の良い木だ」と目を付け、それらが製材され、時間をかけて乾燥させてて狂いを取っていく。またそれらの木を買い付ける方も目が肥えていて、「なるほど、これは家具に使っても曲がったりしない良い木だ」と判る。様々な木の種類についても精通していて、それぞれの木の特徴を活かした部分に使っていく。ある木は硬かったり、柔らかかったり、水に強かったり。

 木の使い方も、単なる材木だけではなかったからね。樹液を使う漆なんてその一例だけど、漆は塗料だけではなく接着剤でもあった。木を燃やした後の灰も、陶芸の釉薬に使われていた。木の種類によって、釉薬としての灰の性能も異なるらしく、このページなんかを見ると、松とか樫とか、中には栗のイガなんて限定された灰もあるようだ。

  木炭だって燃料としてではなく研磨剤としても使われてきた。朴の木の炭なんかが有名だけど、他にもいろいろ種類があるみたいね。(参考ページ

 なんかこういう話を聞いてみると、昔の山の人々が、山の素材で不思議な妙薬を作っていた伝説の魔女のように見えてくる。

 現代から、かつてのような魔法使いが闊歩していた山の知恵を復活させるのは容易ではない。そこには現代とは別種のハイテクが存在していたのだろう。

 今となっては、山の木々も、杉と桧以外は燃料くらいしか利用先が無い。これは酷い退化と言える。

 そういえば、桧だって、昔は皮まで使ってたな。家の屋根に。こっちも後継者難らしい。

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