このところ、この日記では毎回挨拶のように、「3日と晴天が続かない」と書いている。それでもこの週は、ようやくというか、雨が降らない日が5日続いた。この日曜日は気持ちのいい秋晴れになったけれど、やはりどこか、まだ湿気が残っているような空の色だったり、雲の形だったりする。
このまま、こんな気候が毎年のように続くのかなぁと気候変動について心配するけれど、世界的に見れば、記録的な旱魃も多い年になったからな。次は日本が旱魃になって、ヨーロッパで長雨になるかもしれない。
まだ紅葉と呼ぶには早すぎるけれど、ぽつぽつと赤や黄色に色付いた葉が目立つようになった。朝晩は普通にストーブを使うようになったし、薪ストーブのある家からは、白い煙が上がっている。薪ストーブの利用者にとっては、薪作りの季節でもあるのだけど、今、山から切り出して、割って薪棚に置いている薪は、今回の冬用ではなく、その次の冬用だ。それぐらい待たないと、薪の水分が抜けない。「自然の恵みを利用した。自然と調和した山の暮らし」なんてものは、半年先、1年先、2年先、3年先を考えた作業が多くなる。どうしても、自然の都合に人間の方を合わせる作業が多いからだ。人間中心に物事が動くわけではない。
前回の日記で、スーパーやコンビニで売っている食料品が年々小さくなっている事について書いたけど、こんな動画があるね。
コンビニ弁当の底上げ問題がどんどんアウトなレベルになってきて
特に興味深かったのが、この動画で4分20秒頃の所から出てくる、容器メーカーの話。そりゃまあ、容器のメーカーもいろいろ考えるわなぁ。「見栄えはそのままに、内容量5~10パーセント削減!」だって。まあ需要があるから容器メーカーもそれに応じた商品を制作しているわけだけど。
ただなぁ、いや、仕事に貴賤はないですよ。必要とされているから仕事は存在されているわけですし。ただ、こういう容器を作って販売するのにも、多くの腕のいい技術者が関わっているんですよね。なんか、才能の無駄使いの気がするなァ。
戦後、いろんな会社が立ち上がって、より高品質の製品をより低価格で売り出そうとしていた、あの時代の情熱とは、すっかり無縁な物作りに感じる。なんかねえ、日本企業、他に目指す理想は無いのか?、と脱力しつつ思ってしまう。ハリボテの技術ばかり向上させてもね。
まあ、そんな容器の話も、数年先には笑い話になっているんじゃなかろうか。世の中はどんどん変わっていくし、この流れもどこかで逆転する時が来ると思う。たぶんその時は、食品メーカーも時代の変化に気づいて、さっと身の振り方を変えるはずだ。
話はちょっとずれるけれど、今騒ぎになっている、統一教会と政治との関わりについても似た印象を持っている。時代が変わった、今まで許されていたことが許されなくなっている、と気づいた人たちが、さっと身の振り方を変えることができるかどうか。
できる人もいるだろうし、「いままでの付き合いを絶てない」、と付き合いを引き延ばす人もいるだろう。ただこういう時、自分の意志で自分の行動を決められないタイプは、ずるずると決断できずに、時の流れと共に葬られるような気がする。
というのも、普通の安定した時代だったら、自分の周囲の人間のすることを参考にして、それらを真似て行動すれば、だいたい大過ない生き方ができるかもしれないけれど、時代の変わり目だと、自分の周囲の人間の行動に合わせて真似していると、時代の変化に先んじて対応できない。時代の変わり目に来て、自分の周囲の人間が慌て始めた時に、一緒に慌てる事しかできない。
時代の変わり目って、自分の周囲の人間を参考にして、それに合わせるような生き方では、一緒に滅んでしまいかねない。どうしても、自分自身の判断基準をしっかりと持って、「自分以外の人間が反対しようとも、私なりに熟慮した結果、私はこの道が正しいと思う」という独立した思考が必要になる。
日本人は、こういう思考が苦手と言うけれど、これからどうなるだろう。
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