2022年 10月2日

 今年は夏からずっと、湿気の絶えない気候が続いた。3日続いて雨が降らないような天気は、ほとんど無かったと思う。その点では、この週も例外ではない。藤野では水曜日の夜に、ぱらっと雨が降った。でも、それだけだった。

 そのため、この週末は、もしかしたらこの夏以来初めてなんじゃないかと思える、爽やかな快晴に恵まれた土日になった。当然と言うか、台風に泣かされた連休なんかよりも、ずっと多くの行楽客が道志川のキャンプ場にも来ていたよ。

 やや高温気味の初秋だったけど、次の週の後半あたりから冷え込みが来るらしい。その話を聞いて、この土日は冬用の布団や毛布を干しまくりました。まだ冬支度には早い気がしますが。それでも、20年前くらいなら、10月にもなると朝晩は防寒着でも着ないと寒くて震え上がったものだけどな。今は未だシャツ一枚でも平気なんだから、すっかり気候は変わったと思う。

 彼岸花は盛りを過ぎて姿を消し始め、チカラシバが穂を出して、陽を浴びて光っている。金木犀の芳香が漂い、秋らしい青空が広がっている。気づけば、真昼でも日差しは斜光になっていた。

 次の週末は、数年ぶりに篠原で「ぐるっとお散歩篠原展」がある。私も絵を展示させてもらうことにしました。

 元首相の国葬が終わって感じたのは、ここ30年ばかり思慮も無く続いて来た右傾化が既に峠を越え、衰退に向かっているという印象だった。どんな波にも、終わりが来るものらしい。始めは左翼叩き、朝日新聞叩き、日教組叩きみたいなことから流れが始まり、革新が軽蔑すべきもので保守が正しいものであるかのような思想を好んで流す人間が、世の表に目立つようになった。こんな風潮が勢いをつけた最大の理由は、バブル崩壊で経済が停滞し、人々が生活不安から委縮して、新しい世の中を追求するよりも、既存の世の中を維持して「株を守る」事に専念するようになったためだろうと私は思っている。

 ただ、そんな新しい未来を想像も創造もしなくなって保守に依存した結果、御用商人と御用学者と、ついには御用宗教までが権力と税金を食い物にするだけの、醜い状態に陥った。

 この日記で時々、統一教会がらみの事件で私が考える最大の痛手は、「保守であることに誇りを持てなくなること」だと書いて来た。誇りを持てない思想には、世の中からの追い風が吹かず、若手から席を外していき、気が付いたときは高齢者だけのたまり場になっている。

 特に今の若者は、声高に反対を叫ぶのではなく、尊敬できない、支持できない勢力や思想からは、「静かに距離を置く」という行動を採る。それだけに、なかなか変化の現象が見えにくい。

 たぶん、次の流れは、保守に失望したから再び革新に流れる、といった単純なものではなく、一度、「実力社会」といった状態を挟むんじゃないかと私は想像している。どんな世の中でも、知恵と才覚と技術で新しい分野を開拓して、今は小規模な形であれ、成功を重ねている人々や組織はいると思う。そこには割と健康な倫理観と人格・精神風土があるはずだ。

 昔風な言葉を使えば、そんな地方の小規模な「豪族」から、次の流れは生まれて来るんじゃないかなぁと想像している。

 まあ、過去30年の腐敗を進める力を貸してきた「虎の威を借る狐」にしてみれば、そんな小規模な流れなんて、はなからバカにしてからかう対象に過ぎないかもしれない。まあそれはいい。でも、自分の周りにいる人々の平均年齢を、一度自覚的に確認してみるのもいいかと思う。自分がいる所は、これから枯れていくだけの巨大な老木なのか、伸び盛りの小さな芽なのか。

 ここで話はがらっと変わりますが。

 どうも私には、今年になってロシアがやっていることが、一種の革命に近い事を考えているんじゃないかと思うようになった。勿論、私のアタマで考える事なんて、当てにならないのは当然なんだけど。

 世界を牛耳るかのような巨大な資本さえあれば、世の中はなんとでも動かせるかのような流れでここまで来たけれど、そのルールそのものとは別のルールでロシアは動いて、既存のルールが通用しない世の中にしようとしてはいないか、そんな感じがする。

 果たしてロシアは倒れ行く巨大な老木なのか、若い小さな芽なのか。この辺りは、私には想像できません。

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