牧馬の集落は篠原の一部である。篠原の祭りは、疫病を理由に早々の内に中止が決まっていて、「道つくり」という、神輿が練り歩く道路の草刈りと、神社の敷地の草刈りだけが行われた。それでは牧馬のお祭りはどうしようと言う話になったが、ぎりぎりまでやるかやらないかで迷った挙句、やはり今年も中止となり、神輿のある祠の周辺の草刈りと、お神酒を捧げる事だけで終わりとなった。来年こそは、普通にお祭りができるといいんですけどね。祭りの直前になって、誰それの家で感染者が出たという話があるので、なかなか今は難しいです。
この夏は暑い事は暑かったが、それでいて雨が途切れることもなく数日おきに降り続き、常に湿度の供給が絶えない夏だった。これはこれで、連日の猛暑の中でも、時々は涼しくしのぎ易い日があるという事で、有難い事でもあった。
一方でヨーロッパの熱波と干害は相当なものらしい。川やため池が干上がったり山火事が多発したり。日頃、熱波には慣れていない地域だけに厳しいとは思う。
思い出したのが、ビバルディの「四季」の夏の3つの楽章は、どれも重苦しい感じの曲ばかりだ。これが他の季節の曲は明るく楽し気な曲が含まれるのに(冬の楽章でさえ)、夏は熱波に照り付けられるような感じだったり、急に嵐が吹き荒れたり、そこで暮らす人々はひたすら厳しい気候に耐えるしかないような雰囲気で終わる。
まるでそこには、夏ならではの喜びは存在しないみたいだ。日本的な感覚だと、夏休みに川遊びする子供らのような、楽しい場面も多いと思うのだけど。これから更に気候が変わって来ると、ますますビバルディの夏みたいな、ひたすら荒ぶる気候に耐えるしかない夏になっていくのだろうか。
すでに気の早いススキは、立秋の頃から穂を出し始めている。お盆を過ぎると、不思議なもので、一度草刈りをすると9月になってもそれほど草が伸びない。7月頃までは刈ったそばから伸びる勢いなのに。
すこしずつ、秋に入ってるのだろう。冬向けの野菜の種を撒くのも、そろそろだ。最近は猛暑の日でも、夜から朝方にかけては意外に冷え込むことが多い。
以前の日記で、このところの統一教会に対する追及に関して、確実にかたをつけるかのような、攻撃の手を緩めずに時間をかけて追い込んでいくような印象を感じている・・・といったことを書いた。今でもその印象は変わっていない。
この原因はどこに在るのかなぁと考えてみたけれど、「そういう時代になったのかなぁ」くらいにしか想像がつかない。しいて、もっともらしい理由を考えてみると、政治から喜びが無くなって、時間が経ち過ぎた事かな、と思っている。
昭和の中頃までは、政治にも庶民的な喜びがあったと思う。新しい家電やら文明の利器が増えて、田舎でも水道や電気が通じ、交通も便利になって、人々の喜びが拡大する時代だった。
それがいつか、民衆は我慢ばかり強いられるようになり、物価は上がっても収入は上がらない、追い詰められるような暮らしをする人が多数派になってきた。
政治に新しい喜びを生み出す力が無くなってしまうと、政治を動かし支える力は民衆からではなく、特殊な欲望をかなえることを目標にした宗教などの団体だけになる。しかしこんな状態も、永遠に続くわけがない。ごく一部のマニアックな団体の意向で政治が動く状態が続けば、何らかのきっかけで、その団体が民衆からの集中攻撃を受ける事態になっていく。
どうも、今はそんな状態に陥っているらしい。以前の日記では、こういった状態は元総理の国葬まで続くんじゃないかと書いたけど、もっと何年も続くと思うようになった。ある程度、民衆にも「この問題はかたがついた」と実感できるところまで、この流れは続くと思う。
民衆の喜びと、権力の喜びが一致せず、乖離が進むと、どこかで修正が迫られる事態になるのだろう。
あとなぁ、この問題。保守を自認する人にとっても、じわじわと効いてくるだろうな。何しろ自分の依って立つ存在の政党を支援し、操っているのが統一教会だと言われれば、自分自身に誇りが持てない。
この、自分自身に誇りが持てない状況と言うのは、一見地味に見えるかもしれないが、時間が経てば経つほど、致命的な打撃になって来る。このあたり、どう解決するのだろうか。
まあ、これも時代の流れの一つなんだろうな。
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