お盆休み。それなりに行楽の客も来てはいるのだけど、金土日と台風の雨に見舞われ、いまいち盛り上がりには欠ける感じ。それでも、月曜日から水曜日にかけての殺人的な暑さを思えば、雨が降るだけ過ごしやすくはなる。確かに台風は通過したのだけど、藤野に関してはそれほどの豪雨にはならず、少しは沢の水も増えたけれど、大騒ぎして避難を考えるような降りにはならなかった。
それでも、伊豆とか東海とか、局地的に酷い降りをした所はあるようで、どうも最近の雨は、特定の場所をまるで親の仇のように攻撃し続けるような印象がある。東北の大雨はずっと継続しているそうな。
ただこの天気、昔はこんな夏ではなかったような気がするなぁと思う。夏って、8月にもなれば梅雨の影響はすっかり影を潜めて、全国的に晴れ上がった夏空になって、それが安定するんじゃなかったかなと考えていたら、こんな記事があった。
この記事では、今年の太平洋高気圧は「すきがある」そうな。
「ほんとに(太平洋高気圧が)強いときって、雲すらわかない。にわか雨とか雷雨なんてもってのほかという状況で、ずっと晴れて雲の発生・発達を許さない。」
確かに、本来の夏って、そんな記憶がある。
それが今年の夏は、いつも日本のどこかに前線があって、あちこちに雨を降らせたり、1週間のなかで2日は雨が降る日が合ったりと、安定した夏空という感じではない。確かに猛暑の夏でもあるのだけど、少し違うようだ。
この記事でもう一つ興味深かったのが、147年前の夏の気温について。その当時も32度近い気温も記録しているのだけど、そんな猛暑の日に隣り合うように、25度とか22度みたいな過ごしやすい最高気温の日がある。22度なんて、今の感覚だったら、冷房が効きすぎて寒くて苦情を言うレベルじゃないのか。
1960年頃では、昼間は35度に達する日があっても、その日の夕方には30度を下回っている。この頃はまだ、「夕涼み」という言葉が普通に実感できる世界だった。今は夜になっても30度を下回らない。
こんな気象データを見ると、確かに気候は変わって来ているんだなぁと思う。それは同時に、これから更に熱くなったらどうなるんだ、という不安にもつながるのだけど。
夏が昔より暑くなっているのと同時に、冬は昔よりも暖かくなっているというのもあるのだろう。夏目漱石の「永日小品」という随筆のなかに、冬に、家の中の風呂桶の水が凍っているという描写がある。屋内の風呂桶の水が氷るというのは、今の東京ではとてもありえない。
21世紀になって、夏は殺人的に暑くはなったが、冬は殺人的な寒さではなくなったともとれる。ただ、果たしてこれは良い事なのかと問われれば答えに窮する。こんな現象が、更に別の厄災を招かないかと、多くの学者が警戒しているのだろう。
世の中には、温暖化を歓迎する人もいるのだろうか。考えてみれば、かつては北海道では米は育たないと考えられていたが、今ではすっかり米どころである。いずれは関東でもマンゴーやパイナップルが育つかもしれないし、カレーに使うスパイスもコーヒー豆も国産可能になるかもしれない。
しかし、それはもはや私の知っている日本じゃないね。やはり、そんな未来には喪失感と寂しさを感じてしまうな。
気候変動って、どのくらいの割合で、人間の活動が反映しているのだろう。地球の歴史を見れば、人間がいなかった頃から、温暖な時期と寒冷な時期の繰り返しはあった。150年前から見れば、確かに温暖化は進行してきたけれど、これはどこまでの割合が人為的な理由によるものなのだろう。
そして、今後、人間の努力次第で、かつての懐かしい日本らしい夏が戻ってくることは、可能なのかどうか。
ヨーロッパでは熱波の影響で、イギリスのテムズ川の上流部が渇水して水が無くなってしまったとか。
やはり、どんな時代であっても、夏休みには子供たちが賑やかに遊べる河出あり続けて欲しい。
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