立秋を迎えた。この週の前半は猛烈な暑さが続いたが、後半は雨の多い日で、久々に昼間も涼しくなった。連日の猛暑に打ちのめされるような感じだったけど、ほっと一息つけた。こんな時に夏の疲れが出たりするのだけど。
藤野はしとしとと降る程度の雨だったけど、山形や新潟では記録的な雨量になり、河川の氾濫や住宅や田畑の浸水、土砂崩れなどの被害が出たらしい。こんな風水害の被害が、当たり前のように毎年起こるようになっている。
そろそろ、科学的なデータを見て見たいな。よく気候変動の結果、起こりうる現象の一つとして、「気候が極端になる」というのがある。単なる温暖化ではなく、寒暖の差が激しく成ったり、今までに無いような風水害が起こったりするとか。果たして、この気候の極端化は、実際に起こっているのかどうか。
私としては、「起こっている」と感じている。毎年のように日本のどこかで記録的な風水害が起きて甚大な被害を残している。こんな状態が、今後10年とか20年とか、半世紀とか1世紀とか続いたら、日本の国土のありよう、都市のありようも、すっかり変わってしまうのではないか。
例えば、風水害の被害が想定される場所は、「ここは農地や宅地にはしてはいけない地域」として、あらかじめ決められるような世の中になっているかもしれない。まあ、既に藤野のような山地では似たような規制は始まっているけれど。
人が住むべき土地にしても、いろいろな考察が深められていくだろうな。風水害の被害に遭いにくく、地震に対しても強い地盤を持っている土地、とかを好む傾向が出て来るとか。
基本は、あまり極端な土地には住まない、という事になるんだろう。崖のような斜面とか湿地帯とか、無理に無理を重ねて宅地にしている所もあるけれど、やはりそういう所には住むべきではない。
一つ付け加えると、今はやりのタワーマンションというのも、どうかなぁと思う。イカロスの翼じゃないけれど、天に舞うような高い所に住むと言うのは、これからの時代、いろいろと行き詰まる事が多いと思う。もう少し、地に足が着いた暮らしをした方が、安全なのではなかろうか。
風水害が極端に増えるような世の中になった場合、それは文字通り「風当たりの強い」世の中という事になる。そういう時は、万事、控えめの方が良いだろう。派手好きの方にはつまらない生き方に見えるかもしれないが。
風当たりの強い時、人は、謙虚で、低姿勢で、高みを望まず、倹約を心がけ、そんな地味な生き方の方が生き残る可能性が高くなる。家の形も、そういった地味な思想を反映したデザインが、最後には生き残るように思う。端的に言ってしまえば、バブル期の風潮の正反対が、これからの生き方の思想になるのではないか。勿論、今さらバブル期の生き方なんて、出来る余力は無いはずだけど。
ただ、なんだかんだ言っても、なかなか「次の世の中はバブル期とは正反対の思想で行くよ」と言っても、心のどこかでは納得してくれても、表立って実行するのは、まだ難しいと考える人が多いだろうな。なんたって、バブルの否定って、経済成長の否定を意味する所がある。
中世のヨーロッパでは、キリスト教の教義に外れた思想や生き方をしただけで迫害の対象になったけれど、今だって似たようなものだろう。「私は経済成長が重要だと考えます」と表明しなければ、宗教裁判にかけられて処刑されるような風潮は確かにある。それに、人間は基本的に華やかな世界の方が好きだ。バブルには問題があると認識している人だって、「適度な」バブルなら良いのではないか、と考える人は多い事だろう。
でも私は、気候変動といった地球規模の力が、バブルを抑制してしまう時期が来るのではないかと想像しているのです。膨れ上がる投機的な経済よりも、地味で堅実な経済しか通用しないような時期が。
偶然かもしれないけれど、世界的に見ても、バブルっぽい勢いは、すっかり影を潜めたように見えるけれど、これはどうなんだろう。
話は変わるけれど、最近、こんな動画を見ました。昔ながらのロープの作り方。
手作りのロープとロープ。 1996年の植物繊維による生産と編組|ドキュメンタリー映画
こんな動画を見ながら、昔の物作りは堅実で丁寧で、またその制作の行為そのものに美しさがあるなぁと、しみじみと感心します。
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