2022年 7月24日

 既に6月下旬に梅雨明けという話にはなっているが、その後、梅雨が戻ったような天候もありつつも、ようやく本来の梅雨明けっぽい感じになってきた。雨が降るとしても週に一回程度だけ降るくらい。子供たちは夏休みが始まったのか、キャンプ場は賑わっているし、キャンプ場ではない普通の山の川でも、子供たちが遊んでいるのが見える。自分も子供の頃は、毎日の様に川に遊びに行っていた。

 一方で、また疫病の流行が再開したとか。今回はなかなか感染力が強くて拡散が激しいらしい。ただ、ワクチンの影響か薬の効果か、そもそもあまり深刻な症状を起こさないウイルスなのか、死者が続々と現れて恐慌をきたすような状態ではないらしい。勿論、別のところからは、一度発症すると、たとえ治っても後遺症に苦しむ事例も多いと言う話も聞くので、簡単に安心はできないのだけど。

 ただ最近になって思うのは、そろそろこの疫病に対しても、「感染しない、感染者を出さない」という方針で努力するよりも、感染しても薬もワクチンも必要としない状態を目指す方向に努力すべき時期に来ているんじゃないかと思うようになった。どこかの時点でこの疫病も、従来からあるインフルエンザ同様に、大騒ぎするような特別な病気ではなく、「ありふれた病気」と捉える段階が、未来にあるのだと思う。

 どんな病気であっても、基本は自分自身の健康を維持して、免疫機能と自然治癒力を十分に発揮させて、あまり薬や医療に頼らない生き方を目指すのが、やはり基本だろう。

 誤解してほしくないのは、私は決して薬や医療を無用と言っているのではない。過去の疫病の例を見ても、中世のペストでヨーロッパの人口の半分以上が亡くなったとか、世界を破滅に追い込むような病気は存在するし、それに対抗する医療も薬も大事なのは変わりない。

 ただ、そんな危機的な疫病の恐ろしさを念頭に置きつつも、基本は、健康な体を維持して病気に負けない状態を心がけるのか、一番単純素朴で有効なのではないかと考えている。例にあげたペストだって、確かにペストそのものも恐ろしいけれど、ペストが流行しやすい環境を作っていたのも、大きな原因だったんじゃなかろうか。貧困にあえいで満足に栄養も取れない民衆が大勢いたり、ネズミが繁殖する不衛生な環境をそのまま放置していたり。

 疫病って、病原菌の恐ろしさもあるけれど、人間の健康や社会の健康が損なわれている時に、一気に力をつけて襲い掛かるものでもあるのだろう。その意味で、今回の疫病だって、もしかしたら社会そのものに疫病の流行を許す脆弱さがあったと反省すべきなのかもしれない。

 病気に限らず、何か問題があった場合、ありとあらゆる対策を講じて問題解決に取り組む手法と、しばらく問題を放置して、自然に回復する自己回復力に委ねる手法がある。後者の方法は、いかにも無責任で残酷に思われるかもしれない。何しろ、問題発生後しばらくは、被害が出続けて犠牲が出る事を黙認するから。

 ただ、これも最近になって思うのだけど、もしかしたら、最初の犠牲こそ大きいけれど、後者の手法の方が真の解決に繋がるのではないかと思うことがある。これはあまり、おおっぴらには言えない主張なのだけど。

 例えば、昨年の今頃、熱海で残土の不法投棄が原因で土石流が発生し、多くの犠牲者を出した事件があった。この事件を端に発して、全国での残土の不法投棄について関心が高まっていると思う。

 でも、残土の不法投棄の危険性を主張してきた人々は、過去に沢山いた。行政に訴える人や市民団体もあったし、この問題を広く周知してもらうためにマスコミに報じてもらうようにお願いした人や市民団体もあった。こういった努力が実を結んで、残土の不法投棄に対策を講じられて危険を未然に防いだ所もあったと思う。

 しかし結局、一番問題解決能力の高い力は、派手な事件が起きて、多数の犠牲者が発生して、世の中が大騒ぎになった時にしか生まれないのではないか。

 これは自分でも恐ろしい主張だと思うのだけど、真に問題を解決したいのなら、問題が現れ始めた、芽の小さな時に対処するのではなく、しばらく問題を放置して、多くの人々が問題の被害者になる時を待ってからのほうが確実なのではないか。もっともこんな事は、人前では言えないけれど。

 ヨーロッパでとんでもない熱波になっているという。イギリスで40度とか、聞いたことが無い気温が記録されている。

 気候変動も、多くの人々が犠牲になって、ようやく対策が動き出すものなのかもしれない。

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