この週は梅雨が戻ったような天気だった。それも梅雨末期の集中豪雨を感じさせる降り方が多かった。6月下旬にまさかの梅雨明けとなったけど、まあ時期的には例年通りの雨が降ったとは言える。特に土曜日の夜は土砂災害の警戒があり、ちょっと緊張が走った。いざと言う時の為の非難場所についての連絡が回ったりしたけれど、ふたを開けてみれば、それほどの降りは無く、川の水も増えずに終わった。
今回の梅雨、いつまでが梅雨でいつからが梅雨明けか、判断に困る気候だったと思う。気象庁もさぞ悩んだに違いない。ただこんな時って、よく天気予報を「当たらないぞ」と批判する事があるけれど、私はそんな気になれないな。相手は自然現象、判断に困る状態ならいくらでもあるだろう。
天気予報の当たり外れを批判するくらいなら、10億円で行う予定だった公共事業が30億とか50億とか100億も実際にはかかってしまった事例の方が、よっぽど悪質で犯罪的で、非難されるべきだとは思う。
そろそろ学校は夏休みだろうか。連休とあって行楽の車が多いし、キャンプ場も賑わっている。夜になると、どこからかヤマユリの香りが漂い、蛍の光が舞っていた。
元首相の襲撃については、いろいろと埃が舞い散るような状態が続いている。始めは、とんでもない陰謀でもあるのかと思ってたけど、統一教会に支えられた政治家が、統一教会絡みの事件で終わりを迎えたという、なんだか身内の卑小な事件に思えてくる。まだしばらくは埃が出て来るだろう。
まあねえ、政治の現場なんて、人間の欲望の最たるものが、どろどろとうごめいている所に違いないのだから、清廉潔白な場では収まらないとは私も思っている。でもさすがに、いちど窓を開けて、風通しを良くして、埃をたたいてすす払いをしなくちゃならない時期に来ているのかもしれないね。
「祓いたまえ清めたまえ」なんて言うと神社みただけど、神様にお願いするだけじゃなくて、まず自分自身で祓ったり清めたりして、場を清浄にする努力はするべきだろうな。そうでもないと、神仏だって助けてはくれないだろう。
あー、でも今は、宗教が汚れそのものになっちゃったからなぁ。宗教が穢れ(けがれ)の発生源になってしまったのなら、ここから清浄な場を取り戻すのは、なかなか難しいのかもしれない。
よく「パワースポット巡り」をする人がいるけれど、まずは自分が一番身近な場を、綺麗に掃き清めるのが、最重要なんじゃなかろうか。
こんな事を考える時、良質な職人の仕事場は掃除が行き届いているし、作業も綺麗な事を思い出す。いい仕事をする人や場所って、清潔で心地よい緊張感がある。これが逆に、仕事場が汚いとか散らかっているとか、道具の手入れが行き届いていないとか、そういう現場ではあまり良い仕事は出来ていないだろうなぁという想像がつく。
良い仕事、人々に喜びや潤いを与える仕事というのは、綺麗に掃き清められた、清浄な場所から生まれるのかもしれない。これは自分自身、自戒しなければならないなぁと思う。
これらは、物質的な意味で清浄というだけでなく、精神的な意味でも清浄である必要があるはずだ。まあ心の綺麗さなんて、表面からは見えないかもしれないけれど、例えば、その人がどんな言葉を使っているかでも、清いか汚いかが現れて来る。
これまでの何十年か、テレビでお笑い芸人がもてはやされてきたけれど、そういうのだけが受ける時代じゃなくなるかもしれない。綺麗な言葉を使う人たちにしかできない最上の仕事というものもある事だろう。
上品とか下品と言う言葉は、精神的な意味だけで使われてきたけれど、もしかしたら、その言葉のそのままの意味が使われるようになるかもしれないな。最上の品は、最上の精神から生まれ、下劣な品は、下劣な精神から生まれる、という意味で。
人間自身、そこまで綺麗になれる生き物かと言えば、私だって、それは違うかな、とは思う。やはり人間だって生身の生き物で、上品と下品を混ぜ合わせた生き物なんだと考えている。
ただ世の中があまりにも下品に行き過ぎた時、清浄を志す気持ちが、多くの人々に沸き上がる時期と言うものもあるのだろう。
夏は水を飲む機会が多いけれど、そんな時の水は、清冽に澄んだ水であってほしい。
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