この週は、台風の影響で、少し猛暑が和らいで雨も降った。あの連日35度とか40度とかの殺人的な暑さではなくなったのには、少し体がほっとした。もちろん、これからいくらでも暑い日々はあると思うけどね。夏は始まったばかり。蝉の声も聴くようになった。
いきなり元首相が襲撃されて殺害されるという衝撃的な事件が起きたけど、始めに感じた印象は、なんかケネディ暗殺みたいな不気味な感じだった。当日、あの場所に元首相が現れるのは事前に知らされているわけではなく、またその日は他の遊説先の予定も詰め込まれていたという。元首相が現場に立てたのは数十分もないだろう。その場に犯人は待ち構えていたし、警備は手薄だったという。陰謀論をたくましくするのは私の趣味ではないが、あらかじめ予定されていた事件のような薄気味の悪さだった。
まあこんな大事件の際には、いろいろな陰謀説が沸き上がるのは仕方がない。それに「オッカムの剃刀」という言葉もある。どんなに陰謀を感じさせるような大事件でも、案外真実は、単純でありふれて、つまらない理由で起こっているのかもしれない。なので、あまり陰謀論で頭をパンパンにするのではなく、まずは事態を静観する方が良いのだと思う。
政治の現場にいる人にも同じことが言えるんじゃないかなァ。確かに今は蜂の巣を突いたような大騒ぎだとは思うけれど、そんな大騒ぎに引きずられるのではなく、過去10年とか20年に渡って続けて来た活動を、変わりなく今後も淡々と継続していくような「常態」を変えない冷静さが必要だと思う。
あと、これからしばらくは、政治家の個性とか政治信条とかが、それほど意味をなさない時期が続くような気がしている。殺害された元首相が右寄りの人間だったことが、今後どのような影響を与えるかと言う話もあるようだけど、今の世の中の最大の関心事って、物価高とか、経済的困窮の話題が主でしょう。
生活必需品の値上げ、これでは老後の暮らしが成り立たない、子供に大学への進学が出来ない、病気になっても病院に行けない、結婚しても子供を育てる経済的余裕が無い・・・というか結婚そのものもできない。当然これから人口が減っていくから経済の縮小は避けられない。
こういった「食っていけない」という、人間にとって原初的な政治課題が現れたとき、右だ左だ、保守だ革新だといった理屈は、あまり役に立たない。「ちゃんと食わせてくれるか」どうかで、正義が決まってしまう。田んぼに稲を上手に育てられるのは、保守か革新か、なんて問は愚問もいい所だろう。理屈よりも現実を変える力、実際に食わせられる力が意味を持ってくる。
これから光を浴びて、重要になってくるのは、過去10年、20年と積み重ねてきた堅実な実力なんじゃないかしらん。他ではできない工業的な技術とか、災害に強い住宅を作れるとか、品質の良い農産物を安定して供給できるとか。派手さはないかもしれないけどね。
前回の日記で、ドイツで公共交通機関での値引きチケットの販売について書いたけど。
この話を聞いたとき、実は非常に未来的な印象を私は感じていた。これは私の漠然とした予感なんですけど、何十年後かの未来、公共交通機関が無料になる時代が来るんじゃないかという考えが、私にはずいぶん昔からあるのです。
現代の感覚からしたら、あまりにも突飛で非現実的に思われるかもしれないけれど、私たちがビルや駅などの施設でエレベーターやエスカレーターを使う際に、別にお金を支払う必要が無いように、公共交通機関もいずれそんな感じになるのではないか、と。
まあ夢物語に聞こえるかもしれないな。でも、例えば役所の公務員はおろか、学校の先生までもが人工知能の先生に置き換わる時代、人の仕事がどんどん機械や人工知能に置き換わる時代、「お金をもらうために仕事をして、それによって世の中が回る」という仕組みだけでは、世の中が回らなくなる時代が来るのは、既にうっすらと見えてきているのではないか。ただみんな、見えていてもどうしたらいいか判らず、それを見て見ぬふりをするか、見えていても信じないふりをしているだけで。
そんな未来を思う時、公共交通機関が無料になっても、ぜんぜん不思議じゃないなぁと、私なんかには思えるのです。
あー、でも、そんな時代が来るとしても、私が生きている内じゃあないかなぁ。
ただ、今こうして駄文をさらしているブログも、無料の仕組みなんだよね。もちろん、有料サービスに移行すれば、もっといろんな事が出来るらしいけれど。
この世界の、有料サービスと無料サービスの比率は、徐々に後者が増えて行っているのではないか、と考えるのは、それほど間違ってはいないと考えています。
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