2022年 5月15日

 5月と言うと爽やかな印象があるけれど、実際は違う。梅雨を前にして、意外と雨が多いものだ。なので、今年久しぶりに再会する陶器市は5月の第3の土日が当てられているけれど、なかなか二日とも晴天と言うのは記憶にない。どちらかが雨になるか、もしくは両方が雨になるような事が多かった。今年はどうだろうね。

 この時期になると、山の景色も新緑というよりも、濃い深緑になってすっかり夏の装い。緑は鮮やかだけど、緑だけになってしまい、どこか景色は単調になる。それにこの時期の花って、ニセアカシアにしろホオの木にしろ、ウノハナにしろヤマボウシにしろ、ミズキにしろアオダモにしろ、白い地味な花がなぜか多い。そりゃあ桐の木みたいに紫の花もあるけどね。なんで初夏の木の花って地味な白い花が多いのか、何か理由があるのかな。

 山で暮らしていると、町で暮らしている人と久しぶりに会うと、「日焼けしているね」と言われることがある。まあ草刈りとかして、屋外で時間を使う機会も増えるからね。いつの間にか腕時計の跡だけ白くなっているのは、この頃だ。次の冬に向けて薪を作る作業もある。山里で自然と共に暮らすなんて、エコとかロハスとか、未来志向の進んだ生き方みたいに考える人もいるかもしれないけれど、真っ黒になって大汗をかく生き方でもあるんだけどな。

 コナラの薪を伐っていると、中からカミキリムシの成虫が出てくる。ちょっと起こすのが早すぎたみたいだ。本来目覚めるべき時期よりも早くたたき起こされてしまい、さぞ迷惑だったろう。

 あるコメディアンが自殺したとかで世間に衝撃を与えている。興味深い現象として、その話を伝える際には、テレビであろうとネットのニュースであろうと、「いのちの電話」のような、自殺を思い留まらせるための相談窓口の紹介も併せて行っているところ。こういう取り組み、以前からもあったとは思うけれど、今回の事件の場合は特に目につく。もしかしたら今後、このような様式が、自殺の事件を伝える際の標準になるのかもしれない。

 ただ考えてみれば、毎年のように1万人以上が自殺をしていたころは、そのような取り組みはあったかなぁ、無かったような気がするが。

 世の中から自殺を減らすためにしなければならないことは、いろいろあるとは思う。まずは、あまり人を追い詰めない社会、追い詰められても救済のある社会を作る事。身体的にも精神的にも、経済的にも時間的にも適度な余裕のある社会を目指す事。まあこれは、当たり前と言えば当たり前の対策だ。

 それに付け加えるとしたら、人と人の触れ合いを増やす世の中を目指すべきだろうな。触れ合いといっても、学校の中とか職場とか、「義務」の作業の中で生まれる触れ合いではなく、趣味のような、精神的な余暇の部分での触れ合い。学校とか職場とか、一歩間違えば周囲にいる人間は仲間ではなく敵になりかねないので、学校や職場の触れ合いは、自殺を思い留めさせるどころか、自殺の要因になる事も多いのは周知だろう。

 趣味といっても、今さら何をしたらいいんだと思う人も多いかもしれない。その一方で、私の身の回りで、新しい趣味を始めた人が意外に多い。ある人はピアノを始めた。何でも、テレビでやっている番組「駅ピアノ・空港ピアノ・街角ピアノ」を観て触発されたらしい。こういうストリートピアノって流行っているのかな。今は動画配信を個人でできる時代だから、腕に覚えのある人は、どんどん町に出て演奏しているみたいだ。ユーチューブなんかで検索してみるとゴロゴロ出てくる。こんな曲を聴くと懐かしくなるけれど、たぶん、この演奏をしている人は私と同時代には聴いていないよね。年齢がどう見ても若すぎる。

 話はちょっと脱線するけれど、こういった動画配信サイトが普通に生活に溶け込むと、「流行の曲」というのが、なかなか意味をなさなくなるかもね。若者が、現代の最新流行の曲よりも、自分たちが生まれる前の曲にハマる人だって多いだろう。今の曲よりもプレスリーが好きとかビートルズが好きとか70年代フォークが好きとか。

 そうなると、現代のミュージシャンは、過去の巨匠と常に比較されながら今の曲を作り続ける事になるので、なかなか大変だと思う。それに、もう「最新流行の曲」なんて考え方も、意味をなさなくなっているかもしれないし。

 年末の紅白歌合戦が年を追うごとに低調になっていくのも、仕方がない気がする。

 話を戻すけれど、趣味のような、心を潤す分野で人との触れ合いを増やしてくことが、これからは大切になっていくのだと思う。

 まあ、もちろん、そのためには、趣味に時間を費やせるような余裕のある暮らしを実現することが大前提なのだけど。

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