山の色は、淡い萌黄色から鮮やかな若葉の色へ変わってきた。すずかけ(プラタナス)や桐といった、芽の出るのが遅い木も若葉を出し、冬らしい気配は完全に無くなった。雨も多くなり、二日に1回は雨が降る日がある。おかげで沢の水も豊富だ。昨年は春から初夏にかけて、一応雨はあるものの少雨傾向が続いて、田植えの際に水不足で田んぼに水を行き渡らせるのに苦労したが、今年はどうだろう。
藤野は芸術の町として、さまざまな取り組みや行事が多かったが、ここ数年の疫病では、すっかりその個性を発揮することができなかった。それが、どうやら今年はそんな行事の一つの「陶器市」をやるらしい。5月の21・22日を予定している。藤野の各地の陶芸家やクラフト作家たちが、各地で一斉に市を行う。それらの会場を巡回するバスも運行する。藤野でも最大規模のイベントの一つだ。
「そうか、今年はやるのか」と話を聞いたときには少し驚いた。てっきり今年も中止かと思ってたから。勿論、運営する側の悩みや心配は相当なものだったろう。開催を決断するのも、かなり勇気が必要だったと思うし、感染症対策についても、いろいろと議論を重ねているんだろうな。
「藤野でも最大規模のイベント」と書いたけれど、今回は規模を縮小しての開催だそうな。サイトが既に公開されている。
疫病がいつ収束するかは判らないけれど、そろそろ動き始めてもいいだろう、という気持ちになってきたのだと思う。これからまた少しずつ、開催を中止してきたイベントも、再開する所が増えるんじゃないかな。
また、この時期に藤野のこれまでの芸術村としての足跡をまとめた本が出た。
記念誌の中身はこちら>>
ネット上のサイトでも理解はできるけれど、やはり本を取って見た方が、ずっと解りやすいし情報量も多いと思う。それにしても、今から思えば、ずいぶん長い期間に渡って続けて来たんだなぁと、改めて感じる。このような芸術系のイベントの多さは、藤野という土地に独特の個性を持たせて、またその個性から様々な特質が成長していった。
ここ数年、疫病でその個性が封じられてしまったけれど、また再開すれば、新しい個性が開花していくはずだ。
私としては、そんな面白い特質を持った山里に住んでみたいと思う人が増えて、実際に引っ越して定住する人が増えて、イベントにも主体的に参加する人が増えて、さらに新しい個性を加えるような好循環が生まれてくれたらなぁと願う。
考えてみればなぁ、世界中の経済の主体が、観光とかアートとか遊びだったら、戦争なんて起こらないんだよな・・・なんて言うと、世間知らずの甘ったるい意見に聞こえるかもしれないけれど。ただ、私は現実的な考えとして言っている。
戦争を無くしたければ、戦争する「悪い国」を懲らしめるために武力を使う、という発想から逃れなければならない。その発想に従っている間は、戦争で利益を得ている存在が、世界中に煙の無いところに火を起こして戦争を生み出し、その火消しをするために武力を使い続けるという地獄の状態から抜け出せない。結局そこには、戦争をする事の方が、戦争をしないことよりも「得だ」という考えを持つ人が暗躍する動機を与える。
その状況そのものを変えるには、武力を使うより使わない方がはるかに得な世の中にするしかない。核兵器を使うよりも使わない方が得な世の中、その次は、核兵器を保有するよりも保有しない方が得な世の中、その次は武力を使うよりも使わない方が得な世の中、最後には、武力を保有するよりは保有しない方が得な世の中。
現実無視の絵空事と思われるだろうな。でも私は、この世界の経済の在り方を、そのような方向へ変えていくことが、もっとも現実的な平和主義への道筋だと考えている。「戦争はいけない」と感情に訴えて反対するよりも、「戦争は損だ」と言う人が主流になるほうが、戦争の否定にはずっと力を持つ。
誤解してほしくないけれど、私は決して「戦争は良くない」と感情に訴えて反対する行動を、無意味だとか馬鹿にしているわけではないですよ。そういう人を尊敬しているし、自分自身だって、その一人だと思っている。
ただ、わたしの考えとしては、戦争で利益を得ている存在が、「もう戦争では飯が食えないなぁ、これはもう商売替えか」という状態にならないと、なかなかこの世から戦争を無くすことは難しいと思っているのです。
世界の経済を動かす最大の要素が観光になる世の中になったら、もう戦争どころじゃなくなるからね。
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