2022年 4月17日

 辺りは正に「山笑う」頃。もはや冬の静まり返った時間の停止した感じはなく、溢れかえるような生命を常に感じさせる。夜も、どこかからコノハズクの声が聞こえてくる。ただ、花冷えと言うのだろうか、冬っぽい寒さの日もこの週は多く、体調を崩した人もいたみたい。

 フキノトウの次はコゴミやタラの芽、食卓に季節の山菜が並ぶ。そういえばここ数年は、人様の土地に勝手に山菜を採りに来る人を見なくなった。以前は、春の野草の時期になると、人の土地でもかまわずビニール袋を持った人たちが山菜を採っていく光景が見られた。それで仕方なく地元の人が看板を立てて「勝手に山菜を採らないで」と呼び掛けていたんだけどな。何か理由があるのだろうか。

 山菜も、決して勝手に生えているわけではない。だいたい山菜が安定して取れる所というのは、こまめに草刈りをしている場所であることが多い。都会から勝手に採りに来る人には判らないかもしれないけれど、山菜が生えている土地は、地元の人の苦労と汗の結果でもあるのです。まあそれ以前に、人様の土地で勝手に何か採取するのは泥棒と同じなんだけどね。

 一方で、そろそろタケノコの季節だけど、かまわずどんどんタケノコを採っていってくれないかなぁ、という山もある。竹が増えすぎてどうにもならない山林もあるのだ。

 近所のホームセンターに買い物に行ってみたら、欲しい商品が空になっていた。まあこれは私の考え過ぎかもしれないが、最近はこんな事があるたびに、「また何かの理由で流通が止まっているのではないか」と不安になる。半導体不足で車が作れないとか、鉄の価格高騰で新しい機械を導入できないとか、かつてのような「欲しい時に欲しいものが手に入る」時代ではなくなってきた。何を買うにも、戦時下の配給品を待つような、「次にあの商品が入るのは、いつになるか判らないよ」と言われるような世界になりつつあるのではないか。

 そんな事を考えると、半径10キロ圏内で必要な物の90パーセントが手に入り、半径100キロ圏内で99パーセントのものが手に入り、半径1000キロ圏内で99.9パーセントの物が手に入るような、なるべく身近な範囲内で必要な物の大半が入手可能な世の中の方が、安定すると思う。今すぐの実現は無理だが、そんな世界を目指す方向性は、常に指向しておくべきだろう。

 エネルギーもなぁ、やはり地熱発電という事になるのだろうか。これまでいろんな利権やしがらみがあって、冷遇されてきた地熱発電だけど、いよいよとなったら、「他に頼るものが無い」という事になって、その方向に向かい始めると思う・・・なんて考えてたら、最近、やたらと地熱発電の記事を見るような気がするのは気のせいか。

 たとえばこんな動画

 以前よりこの日記で、この国は既に様々な分野が利権でがんじがらめになっていて、改革も改善もできなくなっている、と書いた。ただその状態も、世界が内憂外患の状態になると壊れるものなのかもしれない。本当に困った時というのは、利権を維持することもできなくなってくる。

 そうなると、それまで既存の利権によって冷遇されてきた分野が、だれも文句もケチも付けられない状態で浮かんでくる。

 流通の不具合、価格の高騰、人や物の移動の制限、不確定要素の増加、いずれも悩ましい話ばかりだけど、こういった困難の数々が、既存の利権に対して、外堀を埋め、内堀を埋めていく力にもなっているのだろう。

 状況は苦しいかもしれないけれど、考えようによっては健全な状況かもしれない。人々が真摯な気持ちで、何が大切で、何が最も有効で、何が最も合理的で、何が最も幸福につながるかを考えて、実行する。それを邪魔する者はいなくなる。結果、望ましい改善が次々に達成されていく。

 内憂外患の時は、人の真心が活きやすい時期でもあるのだろう。もちろん、内憂外患の時に、ますます組織の腐敗が加速する場合もあるけれど。

 これは私の気のせいかもしれないけれど、ここへきて、旧来の利権構造が次の世の中への改善を邪魔するような事が、減ったように感じている。たぶんこれから、やりたいことをやりたいように始める人が、増えていくのではないか。

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