新しい年度に入る。天気は雨が普通に増えてきた。時には雪まじりになる事もあり、まだまだ冬の空気は残っているのだろう。この時期の雪は、山を見ていると雪と雨の降った境目が判って面白い。ハクモクレンはやはり霜にやられて、白い花がたちまち茶色く萎れてしまった。この日は車の窓ガラスにも霜が降りたからなぁ、仕方がないか。
その一方で、山の芽吹きはどんどん続いている。山吹の花も目立ち始めたし、道志川沿いのキャンプ場の桜も綺麗に咲いている。ただ、こんなふうに汗ばむような陽気になったり冬みたいな寒さになったりで、体調を崩す人も多いみたいだ。
冬の間はカラっカラの天気が続いたので、山の沢はすっかり水が少なくなっていた。春になって少し雨が降り始めても、それまでの乾燥が激しかったのか、雨が降っても土に吸い込むばかりだったのだろう。なかなか沢の水量は安定して増えなかった。数日晴れが続くと、また沢が枯れるような感じで。
それが、まとまった雨が週に二日三日は降るようになると、山の土にも水の貯えが出来てくるのだろう。しばらくすると、今度は少々雨が降らない時期が続いても沢が枯れなくなると思う。
こんな事も、沢水を生活水として頼っている山里では、なかなか切実な問題だ。
前回の日記では、グローバル化を悪として、地域分散化を善として書いたような印象があるけれど、決してそういう気持ちではなく、グローバル化にも地域分散化にも、それぞれ良し悪しがあると私は考えている。問題は、グローバル化にせよ地域分散化にせよ、それらを絶対的な正義の旗印として掲げて、自己の欲望をかなえるための道具として利用する人がいる事だ。たいてい、その欲望のかなえ方も、自己の欲望の実現の為なら他者を犠牲にしてもかまわないかのような行動を採る。こうなると、グローバル化にせよ、地域分散化にせよ、それによって幸福になる人よりも不幸になる人の割合の方が増えて行く。
その意味で、これまで続いて来たグローバル化の波も、このままでは続けられない地点まで来たのだと思う。これからの流れとして、グローバル化が終焉して地域分散化に転じるのか、グローバル化が一時停止しても、また新たに「不幸になる人よりも幸福になる人の方がずっと多い」グローバル化の道筋が生まれて、新たなグローバル化が始まるのか、私には判りません。
ただやはり、これまで「幸せになる人よりも不幸になる人の方が多い」システムが動き続けて来たというのは、事実としてあるんじゃないかなぁ。これからの組織の再出発には、そのあたりをどうするかが重要になるのでしょうね。
具体的に一例を挙げると、組織の中でも上だけが得をして下は犠牲になるばかり、という状態をどうするか。
「いや、うちの組織はそんな酷い組織ではない」と言う人もいる事だろう。実際に、そんあ酷い組織ではない所も多いと思う。ただ私が重要だと思っているのは、組織の上の人としたの人が、心がちゃんと通っているか、常に通い続けられる状況を作る工夫をしているか、にある。
こんな事は理想論かな、上下で心が通い合う組織なんて。
まあ、これは私のぼんやりとした予想なんだけど。たぶんこれから、あまり人々の幸福を増やせずに不幸を増やすようになったシステムが終焉して、次のシステムに移行する時期を迎えると思う(それがグローバル化の終焉と地域分散化の始まりかは判らない)。
そんな時期に、速やかに次の時代に合わせて組織の再出発を可能にするのは、上下の心が通い合って、認識の共有が出来上がっている所なんじゃないかと思っている。また、そんな組織作りを可能にするリーダーが存在している所なんじゃないか、とも。
さて、抽象的な話になってきたけれど、具体例を挙げれば、日本の技術職の待遇の悪さ、これはどうにかしなければならないだろう。才能はどこにでも転がっている、才能は幾らでも安く買いたたける、才能を安く使いつぶしても、代わりの才能ならいくらでもいる。そんな気風を残した組織やリーダーは。これからどうなるだろうね。
大都市の大企業は知らないけれど、地方の中小企業や地場産業は、次を担う若手を確保するだけでで四苦八苦して、なかなか人材が見つからない状況が慢性化しているけれど。仕事はあるのだけど、働く人がいないので閉業、という話なら、このところすっかり馴染みになってきた。
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