この週は、やや荒れ気味の天気だった。彼岸の翌日には予想外の雪になり、しばらく寒の戻りが続いた。まあ、藤野だと4月半ばまで雪が降る事は普通にあるので、なにも珍しいことではない。寒さに負けずにハクモクレンも咲き始めている。この花、開花中に霜にやられると、たいまち茶色くしおれてしまうが、今回はどうだろう。霜に遭わずに咲き終わる事ができるだろうか。
ハクモクレンの花が霜でしおれるのは、見ていて気の毒だけど実害があるわけではない。ただ、あまりに早めにジャガイモの種芋を植えると、出たばかりの芽が霜にやられることがある。近所のホームセンターなんかでは、彼岸を過ぎるとジャガイモの種芋が店から無くなる事が多い。「もうすでに植え終わっているでしょ」という事なんだろうけれど、藤野みたいな、南関東でも標高の在る山里だと、むしろこれからの方が植える時期なんだけどな。
こういった事だと、全国チェーンのホームセンターよりも、地元の農協の方が事情をよく解っていて、そこだと割と遅くまでジャガイモの種芋を用意してくれている。一口に同じ相模原市と言っても、種芋を植える時期にはずいぶん開きがある。全国展開をする大型店は、そういった地元ならではの事情になると、急に疎くなるようだ。
その意味で、地元密着型のお店には、まだまだ信頼感で一日の長があると思う。
ここ数年、いろんな出来事が続いているけれど、どうも私にはそれらが、グローバル化にブレーキをかけ、それどころかグローバル化を後退させるような流れに見えてならない。これまで世界中で人と物と金が激しく動いて来たが、徐々に、その流れに不具合が生じ始めている。
疫病で人が動けない、原油や金属、木や農産物が高騰してモノの動きが停滞している、お金だって未来の不景気を予感したのか、動きが悪くなって妙に静かだ。
「グローバル化よりも地域分散化」その流れに、不思議と世界の様々な出来事が手を貸している。なんでこんな現象が起きているのか私には理由が判らないが、一つ、あまり正しいとは思えない私なりの仮説として、「今までの世界がバブルだったんじゃないのか」と考えている。今はバブル崩壊の過程にあると。
バブルの時代は、資産家や投資家が最大の力を発揮してきたがバブルの崩壊は投資先の消失を意味しているので、投資家や資産家は自らの勢いを保つことができなくなる。その隙間を埋めるように力をつけるのは、食料や資源、設備やモノを「作ることができる」存在だろう。バクチよりも堅実に「モノ」を生み出す仕事をする国や組織に力が集まりやすい。
ロシアとウクライナの間の問題にも、そんな動きが潜んでいるように思えてならない。
私の仮説が正しかったとして、このバブルの崩壊はいつまで続くのか。数か月単位の話なのか、数年、数十年という単位の話なのか。それは私にはまるで判らない。
ただ、バブルという事で思い出されるのは、バブルの崩壊が進行しているのに、バブルの華やかさに味をしめた人たちは「バブルの夢をもう一度」と未練を断ち切れずに、せっかく築いた資産をバブル時代と同じ使い方をして無くしてしまうことだ。バブルで大儲けした人で、バブル崩壊とともに一切のバブル的生き方考え方を停止して、資産を失わずに逃げ切った人なんて、どのくらいいるのだろうか。100人に一人でもいるのかな。
日本の製造業も、実は利益の大きな部分を投資で稼いでいて、実際の物作りの方は設備も人員も形骸化していた、なんて会社も多いんじゃなかろうか。そういう所が、バブル崩壊とともに、さっと方向転換して、堅実な物作りに舵を切るのは、ほとんど神業だと思うし、出来ないまま衰退する割合の方が圧倒的ではないかしらん。
何しろその会社の中では、投資で会社に貢献してきたと自負しているエライさんが、たくさんいるはずだからね。その人たちが、さっと方向転換するなんて、よほどの聖人でもないかぎり不可能だろう。
そうなってくると、若者の行動がカギになってくるな。
組織の中にいる若者たちが、「この会社のエライさんは、時代錯誤なバブルの夢ばかり追いかけて、もう駄目だ」と見切りをつけて、そこから逃げ出すか、一緒に沈む船と共にするか。
「逃げる」なんて卑怯者の手段に思われるかもしれないけれど、逃げるべき時に、迷いもせずに逃げ切れるのは、人格だと思う。
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