3月も半ばになり、気温も順調に上がってきている。それに伴って行楽の車も増えてきた。蔓延防止ナントカが終わったとかで、これまで休止していたキャンプ場も営業を再開している。そろそろ、マスクのいらない世の中になってくれないものかと思う。
山の木々はまだ冬景色。でも来週には彼岸だし、そこから先は次々と木々が芽を吹き始めるだろう。
また3月11日が巡ってきたが、それ以降の出来事を思い返してみても、なんか人々に、自立した生き方を勧められているような気がする。例えば、すべて自給自足をしろとは言わないけれど、ある程度の衣食住に関わる事は、身近な範囲で賄えるようにしてみたら?、という考え方は、徐々に広まり、定着してきたのではないか。
東日本大震災の時は電力が足りなくなり、計画停電が実施されたけれど、小規模な太陽電池パネルでもいいから設置して、家庭用の電気の一部を自力で賄う人が、身近で増えた。そんな設備は、大雨などの災害で停電が続いたときにも有効に働いた。
そして昨今は、電気代(だけではないが、あらゆる物価が)上昇傾向で、金で何かを買うよりも自分で作る方が生活が安心できるようになってきたのではないか。
自動車だって、燃料の値上がりは家計を圧迫している。こんな世の中なら、車も電気にして、しかも電気は自分の家で発電すれば、世界の経済の変動に巻き込まれなくて済むと考える人も増えて来るだろう。そろそろこの春に、三菱自動車が軽の電気自動車を出すけれど、200万円くらいだそうな。高いと思うかもしれないけれど、自治体から補助金も出るし、同じ距離を走る場合のガソリン代と電気代を比較したら、笑ってしまうほど電気代の方が安い。一見、高額に思える電気自動車だけれど、「数万キロ走れば、かえって電気自動車の方が安い」といった認識が一般化したら、がらっと世の中の雰囲気が変わっちゃうんじゃないかな。今は、その前夜だという事になる。
ロシアとウクライナの問題で小麦の値段が上がると言う話がある。しかし、考えてみれば、その問題が起こる前から食品の価格の上昇は始まっていた。こういった食料品の問題も、なるべく自活に頼る割合を増やして、世界の経済の変動で生活が振り回されるような事態を、少しでも和らげる方策を練る時期にきているのだろう。
この半世紀ほど、日本は輸出産業を成長させる一方で、国内の農業を犠牲にしてきた面があったが、やはり人々の食料をきちんと自給できる状態にすることは、国の役割の第一だと思う。
災害、戦争、物価高、人々の暮らしを追い詰める要因は様々だけれど、そこから改善していく道は、「なるべく自活していこう」という点で案外共通している。グローバル化も結構だけれど、生活の基盤を守るセーフティーネットには、地域で独立的に衣食住やエネルギー資源の自活をできる状態にしておいた方が良い。これまで世界で起きてきた事柄の一つ一つは、グローバル化を推し進めるよりも、それにブレーキをかけて反省を促して、別の道を模索する方向に力を与えてきたと思える。
そしてまあ、私にはそんな流れが、とても健全なものに見える。どうしてもグローバル化には、金さえあればなんでもできると言う考え方が広まるし、自分が汗を流して何かをするよりも、もっと安くやってくれる人に任せてしまえ、という気持ちになりやすい。自立よりも他者に依存する事を好むようになり、果ては虎の威を借る狐に成り下がる。
まずは、自ら立ち上がって、自ら汗をかくことから始めたらどうだ、という考え方は、人を健全な方向に導く力があるはずだ。これから、行きつ戻りつがあると思うけれど、安心できる世の中とは、ある程度自立した世の中、という考え方が広まっていくんじゃないかなぁ。
これから春になるが、家庭菜園でも始めてみたらどうだろう。
安心を得ようと思えば、まずは自分自身の力で立ち上がる事、と言えば一言だけど、どのくらい実践できる人がいるかな。まだまだ世の中は、安心を得るのなら大樹の陰、と考える方が主流だと思う。
でも、大樹に「ふりまわされる」ようになると、いやでも考えを改めざるを得ないのではないか。
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