2022年 3月6日

 3月に入り、徐々に暖かさも増して、朝の5時半でもほんのりと明るくなっている。梅も徐々に賑やかに咲き出して、フキノトウが天ぷらになって食卓に出てくる。この週末は山を揺するような強風が吹き荒れた。いかにも春風らしい。そのせいもあって、朝になると車の窓ガラスにびっしりと黄色い粉が付いているんだけどね。花粉症の方々にとってはつらい時期の到来だろう。

 このところ雨がまるで降らず、沢の水も極端に減った。もっとも、沢野水が減った理由は他にもあると思っていて、そろそろ山の木々が目覚め始めて、根っこから水を吸い始めたんじゃないかと考えている。その分、沢に流れる水は減るのではないかと。

 行楽の車が増えてきた。真冬でもそれなりに賑やかだったけど、春を迎えると「どこか行きたい」という欲求が増すのかもね。

 私は、だいたい冬が終わりかけて春が始まった頃に、急に眠くなる。いつもは5時間も眠れば十分なのが、6~7時間眠るようになり、目覚ましが必要になる。冬の間は体温を上げるためにエネルギーを使っているのだろう。夏バテと言う言葉があるように、冬の寒さにもバテる事になったらしい。

 ロシアとウクライナの話だけど、マスコミの論調には、ロシアは経済的に貧しい国だとか、孤立化を深めているとか、甘く見ているような記事が多いような気がする。ソビエトの崩壊を見て、しょせん西側から見れば格下の国、という認識もあるのではないかと思う。

 ただ私には、田舎の国だから、貧しい国だから(資源は多いけど)、孤立しているから、といった程度の理由で、なめてかかったら大変な事になる国だと思えてならない。ナポレオンもヒトラーも、なめてかかって攻め行って、ロシア自身も被害を被るが、相手の国には再起ができないようなダメージを与えることがある。

 まあこんな事を書いていれば、「お前はロシア贔屓なのか」という反論になるのだろう。けっしてそういうわけではないのだけどね。

 ウクライナにも言い分はあっただろう。過去のロシアとウクライナの歴史を見れば、そこには壮絶な怨恨はあるし、不信もある。民族自決、ロシアになめられない国になる、と言えば賛同する人も多かったと思う。ただなぁ、ウクライナにロシアを攻撃できる武力を置き(核ミサイル基地とか)、ロシア攻略の橋頭保にウクライナを使ってくれと言われれば、ロシアだって黙っちゃいないだろう。

 ウクライナ、イスラエルの真似をしたかったのかな。

 民族の悲願、独立国としても主権の主張、いずれも非難されるものではないが、世界の他の地域を見比べると、果たして大国に隣接した小国の採るべき道として正しかったのかどうか。そのあたり、フィンランドやノルウェーとか、西側に属しながらもロシアと接してきた国々の外交と比較したら、浮かんでくる事柄も多いと思う。こういった国々は、確かに時には大国と事を構えるのも辞さない行動も採るけれど、決して挑発的にはならなかった。

 外交の場で、下手に「正義」を持ち出すと、あまり良い結果にならないことが多い。戦争が始まるときは「正義の戦争」という言葉が飛び交い、戦争で疲弊して厭戦気分が勝ってきたら、「正義の戦争よりも不正義の平和の方がマシ」という認識にたどり着く。あまり今回の件で、どちらが正しい、という論争には加わる気になれない。その手の論争には、どうしても「正義の戦争」という発想が生じてしまう。

 結局戦争と言うものは、過去数千年、もしくは数万年にも及ぶ、「自分の欲望の為には他人を害しても構わない」という人間の性質から生まれている。現在では、あからさまに侵略戦争を肯定する国は少なくなったけど、例えば経済の分野で話をすれば、まだまだ、自分の利益の為には他者を害しても構わない、という考え方は肯定されていると思う。弱肉強食の肯定なんて、まさにそれだし。

 もし本気で戦争を無くしたいと思うのなら、自己の欲望の為なら他者を害しても構わない、という発想そのものを「恥」とする思想が必要になってくるだろう。もし、あなたが何かをしたいと思うのなら、それがあなた自身と、あなた以外を同時に喜ばせるものである必要がある。

 「ウィンウィンの関係」なんて、言えば一言だが、世界のほとんどの関係が、お互いを喜ばせるものになるには、まだまだ時間がかかる事だろう。

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