2022年 2月27日

 2月も終わろうとしている。週末は一気に暖かくなるという話だったが、確かに週の前半に比べれば寒さは緩んだけど、当初の天気予報で聞いたような、一気に春めいたような温かさにはならなかったようだ。今日の日曜日は強風が吹き、どこか春風を思わせたけれど、それなりに冷たい風だった。まあ気温は緩まなくても、杉花粉は出始めたようだけど。

 この週末は土日とも晴れが予想されていたので、行楽の客も多かった。道志川沿いのキャンプ場には、営業している所と営業を自粛している所があって、営業しているキャンプ場に客が集中して、なかなかの混雑になっていた。その光景を見ると、数年前の冬のキャンプ場からは想像もできないような混み具合。あれじゃあ都会の喧騒をそのままキャンプ場に持ってきたようなものだ。

 晴れていても冷たい風が吹き荒れる様では、洗濯物を干しても吹き飛ばされかねないし、布団を干しても温かく膨らんでくれない。こんな日は家の南側の縁側で、ガラス戸を閉じたまま洗濯物や布団を置いておく。これでもけっこう暖かく乾いてくれる。花粉症の方なんかも、こうして洗濯物を乾かしている人は多いんじゃないかな。

 真冬の縁側で思いだすのは、やはりこの歌かな。子供の時代が終わり、大人の時代を迎える瞬間を切り取った凄みの在る歌。人は、自分がやがて死ぬべき身であることを自覚した時に、子供から大人になるのかな。

 ロシアとウクライナとの間のゴタゴタは。瞬殺という言葉が似あう感じになった。こんな事をしてけしからんと、欧米からはウクライナに武器を送ろうという対策を講じているけれど、私には「武器は送るけど人は送れない」と言っているようにも聞こえる。前回の日記で書いたけれど、衝突の結果、どちらが求心力を失い、どちらが求心力を保ち続けるか、これから明瞭になって来るだろうと思う。

 ウクライナって、「虎の威を借る狐」をやりたかったんじゃなかろうか。私の後ろには欧米がついているから、何をやってもロシアは動けないと、たかをくくっていたら、虎よりも熊の方がずっと恐ろしく凶暴で、おまけに手際がよかった。腹の座り方も全然違っているように見える。ロシアの方は自分が何をすべきか迷いがなく、実行に移すときにもブレが無い。ブレが激しいのは欧米の方だろう。

 まあこんな事を書くと、「お前は戦争肯定論者か」とか「ロシア贔屓なのか」とか非難されそうだけど、そういうわけじゃないんだけどね。私自身は、ロシアと言う国を、またロシアの大統領を、目的の為には手段を択ばずに実行する不気味な存在だと思っているし、武力の行使なんて無い方が良いに決まっている。

 でもなぁ、世界はまだ、欲望で動いている。自分の欲望の為には他社を犠牲にしてもかまわないと考える人間は大勢いるし、そんな動機で国々が動いている側面は、残念ながら今でも大きい。

 ある時は武力を使ったり、ある時は経済力を使ったりして、他者を奴隷にしたり、他者の富を奪おうとする動きは、かつてのようにあからさまな形ではないにせよ、今でもある。世界は一見、理性的で人道的な理屈で動いているように見えるけれど、水面下では、いかにも動物的な欲望のぶつかり合いが続いているのだろう。

 そんな世界では、結果が全てだろう。ケンカに勝つか負けるか、という。

 勿論私は、人間は、国家は、世界は、善人による徳に満ちたものであってほしいと願っている。だがまだまだ、動物的なケンカで物事が決まる世の中は続くと思うし、そんな世界の中で、いかに上手く渡り合っていくかの知恵が求められるのだと思う。

 そうだなぁ、例えば、学校にはいじめっ子もいるだろう。ひどい場合は、まともな生徒よりもいじめっ子の方が多い学校もあるかもしれないし、指導する先生にも熱意がまるでない学校もあるかもしれない。そんな場所に放り込まれた時、どう行動すべきか。

 敢然といじめっ子と戦うのもいいかもしれない。逃げるのもいいかもしれない。学校を変えるのもいいだろう。逆にいじめっ子の仲間になったり配下なるという事もあるだろう。

 ただ、そんな混乱に巻き込まれながらも、身も心も悪に染まって自滅しかない道にどっぷりとハマってしまうのではなく、悪を「理解」しつつ、悪に染まることなく距離を置いて、自分の本当の幸せを目指し続けるのには、生きていく知恵が必要になる。

 その「生きていく知恵」の中でも、大きなものの一つが、前回の日記からも書いている「求心力」ではないかと考えている。

 歴史上、ほとんどの国は善ではなかった。100パーセントの悪の国と言うのも無いとは思うが。

 ただ、国の存亡は、善悪ではなく、求心力の有無で決まってきたのは確かだと思う。

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