2022年 2月13日

 この週の木曜日は朝から雪が降り続いた。天気予報では大雪を警戒していたけれど、そこまでの積雪には至らず、牧馬でも10センチから15cm程度で終わった。驚いたのは、その日の夜の内に道路の除雪が始まった事。牧馬の道も、夜の11時頃に除雪車の作業がやってきた。

 ただ、牧馬峠の北側だけは妙に除雪が遅れた。この道は急で、スタッドレスでも登れない車が出てくる。私はチェーンを付けて通過したけれど、この峠の北側は特に積雪が多く、20センチはあったかもしれない。これがさらに積もると、普通の車だと床が雪に乗りあがってしまって、スタッドレスだろうとチェーンだろうと通行不能になる。

 関東の雪らしい湿った雪で、翌日からは解けていく。雨どいをコロコロ鳴らして、屋根の雪が消えて行った。この冬は降水が少なく、沢の水もすっかり細くなっていたが、この雪で少しは水量を戻したみたいだ。今日の日曜日も午後から雨になり、夜に入って雪になったが、今度はたいして積もらない感じ。

 関東に雪が降るようになるのは、冬が峠を越えた事でもある。冬の真っ盛りだと晴天ばかりが続いて雪は降らない。これから徐々に春めいてくるのだろう。

 疫病の影響か、在宅勤務もそれほど珍しいものではなくなり、じゃあいっそ都心よりも郊外に引っ越そうかという人も増えているらしい。これまで人が集まるばかりだった都会にも、新たな現象が起き始めている。

 ただ私は、どんな時代でも、「集まる」という事はどこかであるんじゃないかと思っている。例えば、時代や環境の変化に従って、人とかお金とか、知性とか技術が「集まる」という現象があった。ある時は都市国家に集まり、ある時は農業に集まり、ある時は宗教に集まり、ある時は科学技術に集まり、ある時は商業に集まる、という具合に。

 江戸時代が終わって明治に入って、多くの知性が学問の世界に集まった。欧米の進歩に追い付こうと言う明確な目標があったからだろう。これは同時に、日本の農村から人材が流出するという意味でもあったけど。

 戦後だって、人々が「集まる」対象は次々に変遷していった。「三種の神器」なんて言葉も生まれたし、バブル期にはスキー場に人々が集まったし、パソコンに人が集まった時代が過ぎて、スマートフォンに人が集まる時代になったけど、これだって永遠じゃないだろう。

 正直のところ、次の時代、人々がどこに「集まる」のか、私には想像がつかない。

 まあこれは、私の想像力が足りないだけだとは思う。判っている人には判っているのかもしれない。

 自動車が内燃機関から電気に変わると言われ、そのために多くの技術と資源と人と金がその分野に投入されているとは聞く。でも私には、それは結局、自動車業界の縮退に繋がるようにしか思えない。自動車に関わる様々な産業が、自動車の電化に従って規模を縮小していくだろう。自動車業界も、それを承知の上で、自動車と言う基盤の上に、何か次の新しい商売のネタを創造しようと模索しているのだろう。

 インターネットの世界も、短期間の内に人と技術と金が集中する巨大な存在に成長したけれど、私の眼には、既に峠は越えたように見える。世界中の投資家と呼ばれる人たちが、次はどこに人が集まるかを考えて、先んじてそこに投資をしようと日々考えているはずだけど、そういったネタを見つけることに成功しているのかな。

 商売の世界は安心できない。じゃあ公務員になって安心を得よう、という人もいるかもしれない。しかししょせん公務員も、民間が稼いだ金がないと維持できないからねぇ。

 皮肉な言い方をすれば、次はどこに集まればいいのか判らない人々が、右往左往しながら、散り散りになって雲散霧消しかねない、そんな時期なのかもしれない。

 だからまあ、昔から「祭り」というのは重要だったんだな、と、素朴な昔の事を考える。たぶん祭りと言うのは、人々が「ここで生きて行けば安心できる」という気持ちを高めるための、装置としての役割もあったに違いない。土地の神様に祈りを捧げ、この日ばかりはご馳走を食べて皆で楽しみ、明日からも頑張っていこうという気持ちを新たにする。

 そう云う意味で今は、政治の場も、産業の場も、宗教の場ですら、あまり「祭り」っぽくないんだよなぁ。人々の心を集める場になるだけの力はないようだ。

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