2022年 1月23日

 20日は大寒。なるほど、その名前の通りの厳しい寒さが続いた。陽光に恵まれた昼間でも吹き抜ける風は冷たく、陽が山の端に陰ると、山里がそのまま冷蔵庫に放り込まれたような底冷えが始まる。顔に当たる寒気も、冷たいというよりもピリピリと「痛い」感じになる。

 今回の冬は、いかにも冬らしい冬と書いてきたけれど、地球全体から見れば、温暖化は進行しているらしい。南半球のオーストラリアでは記録的な熱波になっているそうな。

 今回がたまたま寒い冬だったとしても、次は暖冬かもしれない。それも記録的な暖冬かもしれない。そんな事を思うと、厳しい寒さも得難い体験のような気分になる。

 ただ、先日のトンガでの火山噴火の影響で大量の噴煙が大気中にばらまかれた影響で、これから数年間、寒冷化が進むんじゃないかという話もあるようだ。噴煙が太陽光を遮ってしまうとのこと。フィリピンのピナツボ火山の噴火の時も、メキシコのエルチチョン火山の噴火の時も、似たような寒冷化が起こったとか。

 まあ学者の意見としては、今回のトンガの噴火は、ピナツボ火山程の噴煙は出していないという見解もあるようで、今年の夏はどうなるんでしょうね。

 このところ巨大地震とか巨大噴火に関する話が多い気がする。つい先日、日向灘でマグニチュード6.6の地震があって、大分県や宮崎県で最大震度5強の揺れを記録した。震源地がかねてから南海トラフ地震と関連性のある場所なので、まあこんな時には必ずニュースでは「いよいよ南海トラフ地震が近いのか」といった見出しが沸くが。

 ただこれってマスコミが危機を煽っているわけではなく、実際に政府の機関なども、ここ数年盛んに、南海トラフ地震が今後起きる確率はこうで、それによって引き起こされる被害の想定はこうで、さらに富士山が噴火した場合に想定される被害はこうで・・・といった情報を発信している。まるで民衆に対して、常に警戒を怠らないように呼び掛けているようだ。

 警戒をし続けるのは正しい。ただ同時に、巨大な地震が起きても平然と過ごせるような家とか町を作っていく努力もすべきだろう。それも最新の技術を使って。

 そういえば、また新型肺炎の流行が始まって、非常事態宣言ほどではないが、それに準じた対策を講じ始めている。まあ今回の新型株はそれほど重症化しないという話だが。

 また在宅勤務を始める所もあるだろう。そういう働き方だったら、大地震があっても帰宅困難者にはならずに済むが。

 大地震のような災害が起きても、それほど社会が混乱しない社会の在り方、暮らし方を提案しては、それを実行していけば良いと思う。これは私の漠然とした印象に過ぎないんだけど、これからしばらく、まともな知恵があれば、それが世の中にどんどん受け入れられて実行に移され、それによってますます新たな知恵が提案される、といった好循環が起きるような気がしている。

 こんな動画があったんですけどね。

ホワイト化するテレビ

 この動画の見解について全て肯定するわけではないけれど、世の中が美しくないものを嫌悪していく傾向は、これからあるんじゃないかと思っている。

 これまでテレビは、暴力だったり破廉恥だったり、人々の耳目を集めるためならいくらでも過激になる所があったけれど、近年はかなりそんな性質が奥に引っ込んできたと思う。これは、人々が「健全」とか「善良」とか「正義」とか「誠実」に目覚めたのが原因ではないと考えている。そうではなく、かつてはこの世の中は、基本的には善良で健全だと言う認識があって、それに安心できたから、テレビではいくらでも「おふざけ」ができた。そして見る側もそれを笑って見ることができた。

 でも、今はそうではなくなってきた。

 悲しい事だけど、今の世の中は、「善良」とか「健全」といったものが、希少になりつつあるという認識と不安の方が強くなっているのではないか。だから、人々は心の底から、「善良」とか「健全」とか「誠実」とか「正義」を、希少で価値のある、得難いものとしてとらえるようになった。そうなると、それらの美徳を足蹴にしてふざけまわる番組なんて、見たくなくなる。

 昭和や平成の時代は、健全性や誠実さなんて空気のように「あって当たり前」の時代だったかもしれない。だから人々はそれらをいくらでも粗末にして笑いものにもできた。

 皮肉だが、世の中が健全でも善良でもなくなりかけて、人々が不安になったとき、人々はそれらを求め始める。「知恵」とか「正義」が、人々から真摯に求められ、実践され始めるのは、そんな時代に陥った時だろう。

0コメント

  • 1000 / 1000