2021年 11月14日

 この週は、火曜日にこの季節には珍しい豪雨があり、沢の水もだいぶ増えたが、その後はすがすがしい秋晴れの日が続いている。そろそろ「晩秋」という言葉が似あう感じになってきた。

 風が吹くたびに枯れ葉が舞い降りて、道に溜まっていく。それを近所の農家や園芸をする方々が、堆肥にするために袋に詰めて持っていく。考えてみれば、こういった枯れ葉を持って行ってくれる作業は、それらを欲しがる人たちが自主的に行っているけれど、この人たちがいなくなってしまったらどうなるんだろう。

 市なり自治体が、税金を投入して枯れ葉の掃除をする事になるのだろうか。そのことを思うと、地域に枯れ葉を欲しがる人がいるという事は、節税でもあり、地域が割安な金額で上手く回る要因にもなっているのだろう。

 昔は、道路わきの雑草だって、地域で飼っている牛や山羊の餌として、人々の奪い合いの対象だった。勝手に刈って持っていったら「そこの草はうちのだ」と怒られたほど。現在は、市が税金を投入して草刈りをしている。

 人と自然の営みがうまく回転していると、世の中が安価に回るものなのかもしれない。

 この冬は寒くなるらしいと予報が言っている。なのに石油の値段は高騰している。電気代だって値上がりしている。

 山に住んでいるのだったら薪ストーブでも使えば、石油に頼らずにお得な暮らしができると思われるかもしれない。まあ、やろうと思えば可能ではあるけれど、実際はいろいろと難しい所もある。

 まず薪ストーブ自体が高価だ。薪ストーブ本体で数十万するし、煙突などの設置工事でも数十万する。まるで軽自動車一台買うような出費になる。それに、燃料の薪は乾いてないといけないし、薪の調達だって自分でやろうと思えば大変だ。山から原木を運んで来て、それをストーブ用に割って、薪棚に置いて何か月、場合によっては1年以上かけて乾燥させる。

 これだけの手間暇を考えただけでもうんざりする人が多いだろう。おまけに煙突の中にすすが溜まっていないか注意して、溜まっていたら掃除しなければならない。すすが溜まったまま使っていたら、最悪、煙突が燃えて家を失う火災になる。

 なんか否定的な事ばかり書いてしまったが、これが現実なんだからしょうがない。ただ裏をかえせば、こういった悪条件が無くなるか緩和したら、薪ストーブが気楽な存在になり、もっと普及する可能性もあるわけだ。

 薪ストーブ本体も設置工事もエアコン並みの価格に抑え、煙突掃除の必要性も無いような未来の薪ストーブなんて、出来ないもんかね。

「仮にそんな薪ストーブができたとして、薪の調達はどうするんだ」と聞かれたら、そこから先は、いくつか道があると思うよ、と答えておく。

 例えば大工さんなんか、絶えず家を建てるのに木っ端のゴミができる。そんな知り合いがいたらもらえばいい。また、街路樹の剪定とか、市が税金を使って木を伐ることがあるが、たいてい、これで発生する木のゴミは、産廃として石油を使って燃やして処理している。「生木だけど、自分で乾かして薪にするから欲しいという人がいたら、あげるよ」という木は、意外に多くあるものだ。

 藤野では、相模湖に流れ着いて溜まった流木を、薪にする人がいるね。疫病の影響で中止してきたけれど、最近になって再開したみたいだ。

流木・流木チップの無料配布について

 木質系のゴミも、使う側が注意して使う知識が行き渡り、それが文化として定着したら、今よりも金のかからない世の中になるんじゃないかなぁ。まあそのためには、なにより民衆自体が知恵を蓄積していく必要があるけれど。

 前回の日記で、この世の利権構造で利益をむさぼり尽くす存在を「白蟻」と書いたが、白蟻が跋扈するのは、そもそも家自体が腐敗している場合が多い。つまり、民衆自体が、価値を生み出す側よりも、価値をむさぼる側でいたいという願望が強いのだろう。そんな民衆の隙を突く形で白蟻は力をつける。

 民衆自体が知恵を付けて、こうすればあまり税金を使わなくても快適な生活ができると率先して提案するようになれば、白蟻だって表立って活動しにくくなってくる。

 こうして考えてみると、世の中を維持したり良くしたりする「税」って、なにもお金だけではないようだ。世の中を安価に運営できる新しい知恵だって、税の一つだろう。

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