2021年 9月19日

 この週末は、妙な台風の通過があった。進路も不思議な道で、北九州あたりから東へ東へと、近畿と東海を経て、南関東を抜けて行った。ずいぶん珍しいコースだと思う。それでも各地で被害を与えたらしく、屋根を飛ばされた家もあれば、神奈川県でも土砂崩れがあったと言うが、どうも藤野にはこれといった影響はとうとう無かった。雨もサラサラした降り方だったし、風も吹かなかった。実りかけた稲が倒されるかと心配したんだけどね。

 その翌日の日曜日は、さあ晴れたとばかりに、どっとキャンプ場に客が押し寄せてきた。山中湖方面に向かう道志の道も、ひっきりなしに車が通過していく。まあ台風一過と言っても道志川は増水していないし、危険があるわけではないけれど。

 明日の月曜日も休日で、3連休とあってか人の移動がとにかく激しい。その光景が私には、なんか疫病での自粛生活のストレスで気がむしゃくしゃしていたのが、たがが外れて「後は野となれ」と気持ちが解放しちゃったのかなぁと思える。まあこれは私の個人的な印象に過ぎず、アンケートとかを取った確実な証拠があるわけではないのだけど。

 ただこれは確実に言える事だけど、緊張状態は永遠に続くわけじゃないからなぁ。緊張に疲れると、その反動で一気に放縦に走ることもあるのかもしれない。

 前回、ちょっと「求心力」について書いたけど、もうこれから数十年に渡って求心力を得る手段にはならなくなってしまったなぁ、と思う。何がって、オリンピックが。

 多くの人々が、もうしばらく、「オリンピックはいいや」、と思ったんじゃなかろうか。たぶん、これからは選挙の公約とかで「ぜひ我が国、我が町にオリンピックを」なんて掲げても、当選に寄与するどころか、かえって落選させられる力になるだろう。「オリンピック誘致」という言葉が禁句になるかもしれない。

 太平洋戦争で大敗して、それ以降「愛国心」という言葉は国民の求心力を得るものではなくなった。それどころか、政府が国民を騙して悲惨な境遇に陥れる、「穢れた言葉」として禁句に近い扱いを受けるようになった。

 なんだかなぁ、本来は価値のあるもの、敬意を払うべきものを、権力が安っぽく乱用して失政の原因を作り、「尊敬されるべき言葉」が「穢れた言葉」になることが多い。人々の心を集める「求心力」になる言葉が、どんどん穢されて数を失っていく。コピーライターが頭を抱える時代になりそうだ。

 まあ他人の悪口はこの程度にしておくとしても、じゃあ、今の時代の「求心力」って何だろうと考える。これが昔だったらね、信心深い時代だったから、神様を祀ったり、先祖の霊に祈りを捧げたりして、祭りを行う事で人々の心をまとめたのだろうけれど。さすがに今はそんな時代じゃないか。

 結局、私の頭では次の「求心力」になる言葉とか概念は思い浮かびませんでした。ただまあ、しいて言えば、順序良く、皆が納得するやり方で物事を進めていく・・・愚直に・・・時間はかかるかもしれないけれど、こんなやり方で、小さな所から実績を積み重ねて信用を高めていくしか、求心力は得られないんじゃないかなぁ、と思った。もう新奇なキャッチコピーで人々が動く時期は、とっくに終わって賞味期限が切れてるんじゃないかな。

 不思議なもので、一度求心力が付き始めると、「そういう魅力的な流れなら私も合流したい」と納得した人々が現れ始める。たぶん、求心力と言うのは、始めは小さな弱い流れから始まるものなのだろう。

 そして、バラバラになってしまった人の心も、何かのきっかけで、また集まっていこうとする気持ちは、持っていると思う。

 神様を祀ったり先祖の霊に祈りを捧げたりで人々の心をまとめる時代じゃない、と書いたばかりだけど、そういやあ、そろそろお彼岸だね。実を言うと、個人的には、このやり方も、まだ効力は失っていないと思っている。人間が何万年も続けてやってきたことが、簡単に無くなるとは思えないし。

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