緊急事態宣言下ではあるのだけど、道志川沿いのキャンプ場も、営業を再開するところもあれば、休業を続けているところもある。営業を再開した所には、満員の客が押しかけていた。夕方になると食事の用意の煙が川沿いに流れていく。
新型肺炎も、ここへきて、ワクチンが数か月で効き目が落ちるとか、3回目、4回目のワクチンが必要になるんじゃないかとか、ワクチンの効き目が7分の1の変異株が現れたとか、なんかワクチンだけでは対処が難しんじゃないかという感じになってきた。それにしても次から次へと新種のウイルスが出てくるね。年内にもギリシャ文字は使い切ってしまうんじゃなかろうか。
やっぱり、ワクチンだけに頼らずに、効果がありそうな手法があればどんどん採用していくほうが良いように思う。前回の日記で福井県では「発症しても家で経過を待つ」ような対処法を採らずに済んでいるそうだと書いたけど、本来はそっちの方が常識的な状態だよねえ。いつ重症化するか分からない不安な状態で「家で我慢しててくれ」なんて、中世的で文明国とは思えない。
そういえば、この新型肺炎が流行り始めた頃、「冬の乾燥した時期に流行が進むけれど、湿気の多い夏は落ち着く」なんて予想もあったけど、これは外れたね。
今年は、梅雨時までは、妙に雨の降らない天候だった。田植えの際にも、沢の水が少なくて代掻きに難儀した。ただそれ以降は、今度は妙に雨の多い天候が続いている。全国各地に被害をもたらした集中豪雨もそうだけど、天気予報で「くもり」と言われている日でも、時折さあっと雨が降ったりして、常に湿気が満たされているような空気だった。これでウイルスが元気なら、冬はもっと元気になるのかな。考えたくもないが。
次の首相候補と言われている人がゾロゾロと出てきていろんなことを言っている。その一つに、日本でも疫病が流行した時にはロックダウン(移動や屋外活動の強制的禁止)ができるようにしたらどうか、と言うのがあった。どのつら下げてそんなことを。
もう、今は政府がいくら「○○するな」と言っても「てめえはオリンピックをしたくせに」と冷笑され、政府がいくら「○○しなさい」と言っても「てめえは国会を開かないくせに」と嘲笑される。はっきり言って尊敬されていない。
なんか、「権力があればなんでもできる」と思っているみたいだけど、人々から嘲笑されるようになると、権力なんて求心力を失って溶けていく一方だ。この「求心力」こそが権力の源泉だとは、当事者は思ってないのかな。
求心力はどうしたら付くかといったら、そりゃあ貧しい人々を豊かにさせるに限る。それができる自信がなくても、「わたしは窮民の救済を目指す」と宣言するだけでも違う。
格差社会なんて言葉が使われるようになって久しいが、窮民の救済に情熱を注ごうと考えている人なんて、今の政界にいるのかなぁ。なんかみんな、富ますべきは富裕層と大企業で、それらが富めば、貧乏人も富のおこぼれがいくだろう、という考え方の持ち主なんじゃないか。結局、富裕層や大企業をより富ますために、貧乏人をより貧乏にしただけだったように思うが。
いろいろと複雑な事を言いたがる人も多いとは思うけれど、「貧しさに苦しんでいる民衆を豊かにする」という目標だけで、政治は9割がた終わってしまうんじゃなかろうか。その目標が民衆にも浸透してくれば、今度は民衆も協力的になってくるものだ。
まあ私は、世の中の仕組みというものを単純に考えすぎているのかもしれない。「窮民の救済なんかに税金を使うな」と主張する勢力だって、私が想像する以上に強く力を持っているのかもしれないし。
ただまあ、私の素人考えかもしれないけれど、誰かが「民衆を豊かにする」と言っただけで、信じられないような勢いで求心力が生まれる状況が出来つつあるんじゃないかと、私は考えています。そういう状況を育ててきたのは、これまでの金持ち優遇の政策なんですけどね。
0コメント