ここ数日、梅雨明け直後のような、殺人的な蒸し暑さだった。8月最後の土日、桂川ではアユ釣りを楽しむ人々でにぎわっていた。こういう行楽は、見ているだけでも涼しげだ。こういう遊びだったら疫病の心配はほとんど無いんじゃなかろうか。
以前ここの日記で、緊急事態宣言が出てから、道志川沿いのキャンプ場には、営業を休止するところと営業を続けているところがある、と書いた。今では(わずかな例外はあるかもしれないが)営業を続けているキャンプ場は見なくなった。せっかくのかき入れ時なのに、気の毒だとは思う。一昨年の台風で、道志川沿いのキャンプ場は軒並み甚大な被害を受け、苦労を重ねながらキャンプ場の再整備を進め、ようやく再開できたと思ったら疫病だ。
藤野在住のライターが、道志川沿いのキャンプ場の一つについて、記事を書いている。
この記事で興味深いのが、近年のキャンプブームは、過去にあったようなメディアが仕掛けるようなものではなく、ソーシャルメディアを使う個人の発信によって広まったものだという見解。メディア由来の流行と違って、すぐに冷めることはないんじゃないか・・・と言うが。そうだと良いな。
考えてみれば、大手メディアが企画した流行だと、簡単に盛り上がることもあれば、簡単に流行が冷める事もあるだろう。でも、個人が発信する情報が網目のように結び付きあい、一つの流れを形成した場合、その流行は、流行するだけの必然性が確かに存在していたと言えるだろう。
個人が発した素朴な実感を込めた気持ちや言葉が、インターネットの網の目の中で、互いに触発しあって盛り上がっていく。この流れに嘘や作為は無い。
まあ実際のところ、ソーシャルメディアも政治権力とつるんで、民衆を権力の望む方向に誘導しようとしたり、権力にとって広まってほしくない情報を流れないようにしたり、いろいろと裏はあるようだけどね。それでも、民衆由来の、「本物の民衆の気持ち」が形となって現れてくるというのは、今までになかった新しい現実ではある。
権力とソーシャルメディアがどんなに裏で結託しようと、この新しい現実は無視できないんじゃないかな。最後の最後は、民衆と歩調を合わせざると得なくなっていくだろう。
世の中、いろんな陰謀論がある。その多くは、権力は秘密裏に、民衆に知られてほしくない情報を抱えている、というものだが。私は、今後はそのような手法は、だんだんと出来にくくなっていくと思っている。その点では楽観的だ。
政権の支持率が下がっているという。まあ、そりゃあそうだろう。これだけ民意と乖離した事を強行し続けて、支持率が下がらなかったら、そっちの方がおかしい。同じ強行だったら、オリンピックを中止していたら支持率が急反発してたんじゃなかったか。まあ私の確証の無い想像だけど。
まだしばらく、疫病は厳しい状況が続きそうだし、それは民衆の暮らしにも厳しさを要求してくる。ただでさえそんな危機的な状況なのに、あえて民衆の気持ちを踏みにじるような行為を強行していたら、危機はさらに深まっていくだろう。
気になるのは、今の政権には、民衆の反発なんぞ無視して強行することが正義であるかのような思想の持主ばかりになっていることだ。次期の首相と目されている人を見ても、9割がた、そんな人たちだね。まあ「保守」という言葉を勘違いして使い続けてきた人たちだから。たとえ民意の反発があっても、それに膝を屈して自分の考えを曲げるのは、あってはならない敗北だと思っているのだろう。
それゆえ、危機を目の前にしても、方針を転換できる柔軟性が無い。とにかく一度決めたことは、どんな状況の変化があっても強行することが正義だと考えている・・・というか、思考停止している。
私は、目の前に危機が現れたら、一度は立ち止まるのが知恵だと思うんですけどね。その方が自らを危機的状況に追い込まず、また周囲の人々の了解も支持も得やすいし、生き残れる可能性もずっと増えると思うんだけど。
まあ、こんな単純素朴な考え方は、一度権力のある立場に立つと、難しいのかな。
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