この週は初めに二日程、真夏らしい日もあったけど、あとは梅雨が戻ったような天気になった。特に最後の土日は九州から関東まで前線が被い、梅雨末期の集中豪雨を思わせる大雨を各地に降らして被害を出した。河川の氾濫や土砂崩れ、一面の泥水で埋まった町の光景がテレビで流れ、見ているだけで心が痛む。もっとも、そんな事を言っている私だって、もしかしたら被災者になっていたかもしれない。
藤野だって、かなりの降水があり、特に日曜日の午前3時頃からの雨の降り方は強烈で、相模原市が警戒レベル4の「避難指示」を出したほど。道路沿いにある沢からは水があふれ、道路に水が流れ込んで、道路を川にしていた。こういう状態って、水が山から運んできた石が、ゴロゴロと道の上に散乱させるんだよなぁ。水よりも石の方が危ない。
さすがに、一昨年の台風被害の時の雨ほどではなかったからか、土砂崩れで道路が寸断されるとか、家が流されると言った被害は出なかったようだけど、まだ私が知らないだけで、後から「実は身近な所で被害があった」という報告があるかもしれない。
全国各地に被害を出したこの豪雨、いずれ正式な名前がつけられると思うが、なんとか被災地にならなかった藤野の私にしてみると、少し有難い雨でもあった。もちろん、こんな事は世間に対して大きな声では言えない状況になってしまったけれど。
というのも、この豪雨の直前は、これまた記録的な猛暑でもあったので、4~5日続く雨の日々は、梅雨寒を思い出す程に気温も上がらず、昼でも20度に達しない日もあった。これは、まるでどこかの高原に避暑に行ったような涼しさである。お盆休みに入ってこの長雨になり、冷涼な気候に身を置くと、日頃の夏の疲れが出たのか、ころりと寝込んでしまった。まるで自分の身体が、これまで真夏の猛暑を乗り越えようと日々身構えていたのが、急な涼しさに緊張の糸が切れてしまったかのように。
もちろん、各地の被災地の事を思えば、「この長雨の期間で、体を休める事が出来て助かった」なんてとても言えない。猛暑が続いてた方がずっと良いに決まっているし、ほかならぬ自分自身が被災者になっていれば、私だって天を恨んでいる立場になっていたはずだ。でも、この数日で、体がほっと一息つけたのも、事実なんですけどね。
それにしても、こうも毎年の様に・・・というか毎月の様に水害が続くようでは、やはり今までの気候とは違う気候に移り変わりつつあると、真剣に認識を変えなければならない時期に入ったのではないか。毎年の様に、毎月の様に、「過去に例のない規模の雨」なんて表現が乱発するようでは、今まで通りの世の中の在り方では、乗り越えられない事を意味しているに等しい。
「高台移転」という言葉を久しぶりに思い出した。東日本大震災の時の、津波に被災した町を、そのまま同じ場所に再建するのではなく、津波の被害が及ぶ事のない高台に町を作り直すやり方。この「高台移転」という言葉が、今度は水害対策にも使われるようになるかもしれないなと思った。
この場合、気を付けなければならないのは、相手が水害の場合、単に高い所に移転すればいいというわけではないと言う事。高い所と言っても急斜面の山だったら、今度は山崩れを心配しなければならなくなる。河川の増水でも水びだしにならず、それでいて大雨でも崩れない土地となると、なかなか探すのが難しくなってくる。
時々思うのが、こんなとき、縄文時代の住居跡のある所って、その意味で理想的な場所である事が多いんだよな。2千年の時を経て、また縄文時代の住処に、日本人の住む場所は帰って行くのかな。
ここで、前回の日記で書いた、『身の回りに「正しさ」について語り合える人がいるか』という話が出てくる。
「気候変動に対応した町を作って行こう」と誰かが唱えても、ある人は賛同するかもしれないが、ある人は冷笑するだけで終わるかもしれない。「気候変動なんて起こっていない。このまま何もしなくてもいい」と。
未来を形作っていくのに、共に語り合える仲間がいないというのは、なんとも痛ましく、気の毒な事だと思う。その逆に、認識や理想を共有する仲間がいて、新しい町作りに動き出す所も出てくると思う。とうぜん、そこには挫折や失敗もあるはずだけど、「何も行動を起こさなかった町」だって、その頃は先に滅んでいるかもしれない。それよりは挫折や失敗の方がずっとマシだ。
もしかしたら、100年もしたら、そういう人たちが動いた町が、日本の首都になっているかもしれない。これを冗談ととるか、意外とありうる話ととるか。
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