2021年 7月18日

 梅雨明け。強い日差しに青い空。週間予報では、ずらっと晴れマークが並んでいる。夏の天気が安定したのだろう。ただ、四国や九州ではまだ集中豪雨が続いているようだ。梅雨明け後しばらくは、暑さと湿度の両方に打ちのめされる、なかなか厳しい気候だけど、晴れが続くと、少しは湿度が落ち着いて、暑さもカラっとした感じになる。梅雨時にはできなかった草刈りとか、大物の洗濯物をやりたくなる。

 で、張り切って草刈りをしたら、草刈り機が小石を弾いて、自分の車の後部の窓ガラスを粉砕した。しばらく現実を直視したくない気分になったが、肩を落としながらガラスを片付け、車を修理に出した。まあ、これが自分の車で良かったと考えよう。他人の車の、それも走行中の車の窓ガラスを割ってたら、生死に関わる事故になっていたかもしれないし。これも苦い勉強だったなぁと反省する。

 このところの梅雨の天気で、土日も雨が多くてキャンプ場もそれほど混んではいなかったが、梅雨明けの晴天となると、さっそく満員になっていた。道路も渋滞があちこちであり、うっかり近所のスーパーとかに買い物に行こうとしたら、渋滞にはまって帰宅までに時間を酷く喰われるようになる。非生産的な時間の浪費はガラスの片付けだけで十分だ。これから夏休みが終わるまで、行き交う行楽の車の量が落ち着く時間帯に、買い物とかに出かけようと思う。

 前回に続いて、残土処分場について、もう少し書く。これまで残土処分場が山里に大量に作られて来た理由の一つに、山里の民の絶望があった。どういう絶望かと言うと、「山なんて持ってても金にならない、むしろ固定資産税ばかり取られる」という絶望。

 林業とか産業が盛んで、山が金を産む存在であれば、なにも山の民だって山を土やゴミで埋める事はしない。子々孫々に富を与える宝の山として大事にする事だろう。でも、山を持ってても金にはならず、維持に労力ばかり取られるとなれば、「土を運んで埋めるだけで金になる」という提案には、どうしても流されてしまう。

 それでも、確かに金は欲しいが、同じ村に住む近所の方々に申し訳ないから、残土処分場には賛成しない、という人の方が、実は主流だ。しかし今度は、「山の土地は持っているが、その土地に住んでいない」人の所に残土処分場の業者が行って、ハンコを取りに行く。山の土地って、山の暮らしに見切りをつけて、町に引っ越した人が所有している事も多いし、その人の妻や子や孫が所有している事もある。そういう人たちは、もはや実際に山に棲んでいる人との交流はほとんど無い。こういう所に業者が来て土地の売却を持ちかけられると、けっこう易々と手放す。

 残土処分場は、悪徳で動いている業者が多いのは確かだけれど、健全で健康で、体力も活力もある山里であれば、悪徳をはねつけることもできる。それが出来ないのは、山里が衰弱している証拠でもある。

 そういう意味で、残土処分場って、イノシシのような有害鳥獣と同じ意味を持っている。山に産業があり、高齢者だけではなく若者にも仕事があり、山の木々や田畑が富を産み、健康な活力が山里に漲っていたら、イノシシだって山里に降りてこない。むしろ人間の方がイノシシを猟銃で追い詰める。

 残土処分場の問題って、山里が、健康な活力を取り戻すまで、なかなか抜本的な解決には至らないんじゃないかと思う。

 ただ・・・、これは喜んでいい状況なのか判らないが、近年、輸入木材の価格が高騰している。これが一時の現象なのか、この状況が固定化されて行くのかは、今の所判らないが、国産材に目がいくきっかけには、なっているようだ。

 いや、木材だけでは無いかもしれないぞ。食料とか家畜用の飼料まで輸入品の価格が高騰する未来って、ありえない話なのだろうか。木材の価格高騰と同様に、大騒ぎになって、慌てて耕作放棄地を耕し始めるなんて、ありえないのかなぁ・・・。私には、「木材であり得た話が、他の分野ではありえない」、なんて根拠は無いんじゃないかと思うのだけど。

 残土処分場の問題は、過去数十年、日本人が山里を見捨て続けた現象の現れだと私は考えている。でも、再度、日本人が山里に関心を持たざるを得ない立場に立たされる可能性も、考えておいてもいいだろう。

 それにしても、話は変わるけれど、最近の天気って、やはり私が知っている天気とは全然違う様相を見せる事があるよね。例えばこんな動画があったけれど。

栃木県【ゲリラ豪雨と雹!!】

 私の車の窓ガラスが、次は雹で割れてしまうなんて事もあるのかな。そんな天気が当たり前の時代になったら、もう車の窓の素材はガラスではなくなっているかもね。

 こんな雨がちょくちょくあるようじゃ、これからも崩れる残土処分場は出て来るんじゃないかな。



0コメント

  • 1000 / 1000