2021年 6月27日

 6月もすっかり終盤になった。先日、今年初めての蝉の声を聞く。いつもの田んぼの仲間で田植えをしたが、今年は水不足で悩んだ。この6月、梅雨らしい天候ではあるものの、案外、しっかりと降り続く雨は少ない。降ると言っても、さあっと降ったかと思ったら、ずっと曇り空になるような天気が多かった。かといって晴天が続くわけではないので「空梅雨」という実感には乏しいのだけど、沢の水の量はかなり少ない。山にたっぷりと水を含ませるような雨が、降っていないのだ。

 上の田植えの写真も、実は田んぼの全ての面に水が行き渡っているわけではない。田んぼの奥の方は水が届かず、田植えというよりも、地面に穴を空けて苗を植えるような感じだった。これからは少しは雨も増えるそうだけど、どうなんだろう。

 自分が参加している田んぼだけに水を優先するわけにもいかない。「今日はあっちの田んぼで田植えをするから、あっちの田んぼの方に水を分けてくれ」と、限られた、細々とした水を融通し合って田植えを行っている。こんな事は、あまり経験が無い。

 雨が欲しいとは思う。しかし、あまりにも大量の雨が来て、また一昨年みたいな災害になるのもなぁ、という不安は、常に心に浮かぶ様になってしまった。先日、その一昨年の水害で被害を受けて、日中の通行止めをしながら復旧工事をしていた篠原の道が、ようやく工事が終了した。

 山の暮らしであれ、都会の暮らしであれ、苦労ばかりでは心も体も疲弊して行き詰まってしまう。たとえ苦労はあっても、同時に喜びや希望がないと、その地域が発展するはずがない。前回の日記でも、これからの世の中では、その人が本当に好きで楽しんでやるような事柄が重要になってくるのではないか、と書いたけど。

 好きでもない仕事、そこに希望も感じない仕事、世の中をかえって悪化させる仕事、そんな仕事でも、日々の生活のためには我慢してやらなければならない・・・なんて生き方は、そろそろ行き詰まってしまうだろう。

 もう一つ、これからの世の中に必要になるんじゃないかなと思う事柄に、「ゆるさ」があると私は考えている。

 木材の価格が高騰しているという話だけど、私としては、あまりこの話に、流されない方がいいんじゃないかと思っている。投機的に値段が上がっているだけかもしれず、そもそも林業や製材業は、何十年、場合によっては何百年の月日を考えて行う事業だろう。世間の風向きがどう変わろうと、どっしりと構えているくらいでいいんじゃなかろうか。

 それにねえ、家を造るったって、既に空き家も多いんだよね、この国。

 新しく建てるばかりじゃなくて、空き家の有効活用も考えたらどうなんだ。

 ああ、なんだか、「ゆるさ」の話からずれてしまっている。これからが本題。

 今の家って、新築の場合、24時間換気ができる機能がないと、作るのが許されないそうだね。なんか法律でそうなっているのか。たぶん、現在のような高気密・高断熱の家の場合、換気がしっかりしていないと危険もあるのだろう。

 夏涼しく、冬でも暖かい高気密・高断熱の家は、確かに快適だろう。体の弱い高齢者には、特に勧めるべき家の機能だと思う。

 ただ、家が高機能になっていくに従って、必要な設備がどんどん増え、満たさなければならない法律の基準も増えて行く。家を建てるのが、どんどん複雑に、回りくどく、金がかかる様になって行く。要するに家を建てるのが難しくなって行く。

 高機能で安全な家を造るのも大切だろう。しかし、その方向一辺倒だったら、家を建てる事が出来る人が、年を追うごとに減って行き、いずれは新築で家を建てようと考える人が、稀になってしまう世の中になるのではないか。それはそれで、家を建てる事で仕事をしている人にとっても、自らの首を絞める事になる。

 地震や火災で簡単に人が死ぬ家なんて論外だけど、少し、規制を「ゆるく」した家と言うのも、必要になるんじゃなかろうか。

 まあ確かにこれは難しい問題で、ゆるい規制をいい事に悪徳業者が粗悪品を作り、そのせいで人々が被害に遭い、同様の被害を防ぐ為に規制を強化して来たのがこれまでの歴史で、規制の強化によって安全な世の中が出来上がって来たのは間違いない。ここで規制を緩めても、また悪徳業者の横行を許す結果にもなりかねない。

 なんかないものかね。法律や規制はゆるいけれど、悪徳業者を栄えさせず、誠実な業者がちゃんと得をする世の中の仕組みって。

 そんな仕組みが出来たら、硬直化した世の中が少しほっとして、新しい事をやってみようと動き始める人が沢山出てくると思うんだけど。

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