2021年 6月20日

 関東も梅雨入りし、明日は夏至だ。確かに雨が多い日が続き、雨の降らない日でも、いかにも湿気をたっぷりと含んだような雲が、空を悠々と渡っている。やまなみ温泉の近くの公園で、白いあじさいが賑やかに咲いている。たしか、アナベルと言う品種だったか。

 土日が雨になると、行楽客も少なめになるようで、この土日は少し静かな方だった。ただ、この日記でたびたび書いてきたけれど、ここ最近のキャンプブームはなかなかで、土日は確実に満員、平日でも客がいる状態が続いている。これで、キャンプ本番の7〜8月になったら、いったいどんな客の入りになるのだろう。

 山に住んでいる身になると、梅雨の僅かな晴れ間、それも土日の晴れ間となると、草刈りとかしておきたいんだけどね。この時期、うかつに草刈りをさぼると、たちまち家の周囲がジャングルみたいになる。

 ジャングルというのは決して大げさではない。自然の濃い山では、草と一緒に木も生えてくる。数年もすれば人の背丈になり、更に年月が経つと、チェーンソーのお世話になる羽目になる。自然の勢いは、なかなか獰猛だ。

 このように、山のような自然の濃い所だと、そこで暮らしていくのでも、草刈りの様に「しなければならないことをする」という仕事がけっこう多い。「やりたいこと、好きな事をする」というより、「やりたくもない事をするのに日々追われる」、という側面は、たしかにあるようだ。その分、山に暮らしているからこそ得られる感動や喜びもあるのだけど。

 ただ、喜びと苦痛、どちらが大きいかは、その人によって違ってくるだろう。喜んで山に住む人間と、さっさと山から出て行く人間がいるのは、その人の好みによるのだろう。山なんて、住む所ではなく、年に数日、遊びに行くくらいでちょうどいい、という人も多いんだろうな。

 どんな生き方を選ぶのも、その人自身の問題であって、その人の好きなように生きればいいと思う。ただ、これからの世の中、「本当に好きな生き方」をしているかどうか、今よりももっと重要に、各人に問われるようになるんじゃないかな、と思う。

 オリンピックを巡る政府と国民との気持ちの乖離は大きく、既にオリンピックを非難する行為に大義があるような雰囲気になった。従来、これほど大規模なイベントの場合、内心は反対でも表面では「まあ頑張れや」くらいは言うのが普通で、真正面から反対しずらい空気があるものだったが。

 疫病が更に拡大する可能性もあるのにお祭り騒ぎを強行する政府の姿勢に、侮蔑の視線を投げ掛ける人々は多い。ただ考えてみたいのは、翻って私たち自身、好きでもない事を「金のため、生活のため」に、むりやりやっている人間の一人ではないか、という事。もしかしたら、その仕事のせいで、誰かが迷惑していたり、誰かの生命を脅かしていたり、地球の環境が悪化しているかもしれない。

 何も政府だけではない。世界の迷惑を顧みず、好きでもない事を無理矢理やって生活の足しにしているという点において、政府も民衆も、それほど変わらないのではないか、という疑問がある。そう考えるとオリンピックも、政府の暴走として見るのではなく、いかにも日本人が現在抱えている病理を、率直に反映した姿と言えなくもない。

 だから、オリンピックを批判できる正当な立場の人間の条件は、「自分の本心から好きな事をして、それが世界の幸福にも確かに繋がっている」必要がある。この条件を満たしていないと、実は政府と同じ穴のムジナだ。

 実際の話、上記の条件を確実に満たしている人間は、それほど多くはないだろう。人間は、この世で生きて行く為には、それが世の中をかえって悪化させるかもしれない行為であっても、生活の為なら、その仕事をしざるを得ない生き物だ。

 なんか絶望的な事を書いてしまったけれど、だからこそ、これからの世の中、「好きな事をしつつ、それが同時に世の中の幸福に繋がっているか」が問われるようになるだろう、と私は考えている。その意味では、未来は案外、明るいのではないか。

 いつかの未来、好きな事で、それが同時に世の中を良くする事であれば、人々はその仕事を嬉々としてやり、好きでもなく、世の中を悪化させる仕事であれば、誰も動かない、そんな時代が来るかもしれない。

 

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