藤の花は今が盛り。山のあちこちで薄紫色の花を見せている。この時期、同じ色合いの花を咲かせるのが桐の花で、こちらもよく見かける。この紫の花の次は、ニセアカシアやミズキの白い花の番だな。
連休に入り、それなりにキャンプ場も込んでいるようだけど、思った程には行楽の車は通り過ぎない。私の記憶では、それこそひっきりなしに車やバイクが通り過ぎていたものだが、今回の連休は意外に静かだ。やはり、非常事態宣言が効いているのだろうか。もっとも、県外のナンバーの車も、それなりに見かけるけどね。
土曜日(5月1日)、また東北で大きな地震があった。マグニチュード6.8で、震度5を記録しているから、なかなかの大きさだけど、本当にこのところ、あの辺りでの大きな地震が多発している。そのたびに、海の近くに住んでいる方々は、津波を警戒して避難する事になるけれど、こうたびたびだと、「またか」という気分にもなるだろうし、精神的にも疲れてしまうんじゃなかろうか。まあ今は、以前よりも安全な所に暮らしているとは思うけれど。
この地震では新幹線も一時運行を停止した。安全確認後に運行を再開したけれど、この新幹線、混んでたのかなぁ。いつもの連休だったら大混雑だったはずだが。
新型肺炎、相変わらず流行っているみたいだ。何でも新しい変異種も感染を拡大しているらしい。この変異種のウイルスは、若者にも発症する事が多いとのこと。従来のウイルスは、あまり若者は発症はしないと言われて、警戒するのは病弱な人や高齢者を重点としていた。でも、これからは違ってくるかもね。
オリンピックもなぁ、「どうなるんだろう」、という感じ。すっかり風向きが変わったかなと思うのは、「オリンピックは中止してもいいんじゃないか」という意見が、大義と正当性を持ち始めた事。どうも日本人の気質として、一度動き始めた事業に対して、真正面から異を唱えるのは憚られる所があって、たとえ本心では気乗りがしなくても、表面では「開催されると良いですね」と言って周囲と歩調を合わせようとする。
でも今は、逆転したんじゃないのか。「オリンピックをぜひ開催しよう」と言う方が、なんか周囲に対して申し訳なく、肩身が狭い雰囲気になってきた。これでは選手が気の毒だね。
もうこうなったら、完全に無観客で、記録を採るだけの目的のオリンピックとして割り切るくらいの気持ちでいいんじゃないかな。下手に「盛り上げよう」としなくてもいいからさ。
オリンピックとは違うけれど、相撲って、初めは神事だったみたいね。これはなんとなく想像できるし、共感も出来る。
例えば今みたいに、疫病が流行していたとする。現在のような科学が発展していなかった頃は、何で病気が流行るのか理由は判らず、「悪魔の仕業ではないか」、くらいしか思いつかなかっただろう。だからこそ神事が必要になる。悪い気を吹き払い、世界を浄化して元に戻す神事が。
その神事として、体格が立派な力士が、体をぶつけ合って勝負し、地面を轟かせると言うのは、いかにもその土地から悪霊を吹き払うのにふさわしい迫力がある。神輿を担いで地域をねり回るのも同じ目的だろう。とにかく、明るく健康な「気」で周囲を沸かせて、悪い気を追い出してしまおうと言う気持ち。
オリンピックもなぁ、そういう気持ちをくみ上げた神事として行うのなら、人々が賛同してくれる感じに、少しは近づくんじゃなかろうか。
そんな神事としてのオリンピックにするなら、お祭り騒ぎじゃ駄目だね。厳粛な、身を清めた神官が執り行うような、神に捧げるような気持ちでやらなくちゃ。
まあ考えてみれば、オリンピックどころか、政治そのものも本来は神事で、「まつりごと」だったね。
厳粛に、身を清めた神官なんて、今の政治にはいないけれど、いよいよ困った状態になったら、そんな神官も必要になるかもしれない。
誤解を招きそうなので言っておくけど、私は「宗教国家」なんて理想としていない。宗教によって統治されている国だって、利権に溺れる悪政もあれば、無法な権力者だって現れる。
ただ、本当にいよいよ困った時、トップに立つ人が神聖な気持ちで祭りを執り行う様を、人々に見せないと、人々はついて来てくれないんじゃないか。
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