2021年 4月25日

 新緑も始めの淡い色合いから、鮮やかな黄緑色へと変わり、たちまち黒々と深い緑色へと移っていく。既に春というよりも初夏と呼んだ方がいい感じだ。八重桜も終わりかけたと思ったら藤が咲き始め、朴の花も咲き始め、季節は急ぎ足で進んでいく。めまぐるしくて、なんだか年末よりも気ぜわしい。

 ここへきて、いつも土日は行楽の車が激しく行き交っていたのが、少し静かになったようだ。やはり、非常事態宣言が効いているのだろうか。昨年の5月の連休は、キャンプ場も休業することになっていたが、今年はどうするんだろう。まあ相模原市は既に「まん延防止等重点措置」を行う地域なんだけどね。

 それにしても、新型肺炎が日本でも拡散して1年余りが経つけれど、そろそろ、科学的な検証が必要なんじゃないのか。何の検証かと言えば、どういう対策が有効で、どういう対策が有効でなかったか。

 世界全体で見れば、上手に対応できた国もあれば、下手な対応をした国もあるだろう。何がその明暗を分けたのか、今なら十分に検討すべき材料が揃うはずだ。日本も、さっさと効果的な手法を採用して、効果的でない手法をやめて、限りある税金を有効に使ったらいい。

 PCR検査の拡充は、効果的なのだろうか。効果的じゃないのだろうか。

 ただなぁ、こういった科学的な検証って、権力を持った側は、やりたがらないよね。どうしても、検証の結果が「失政への批判」になりかねないから。効果的な手法を採らず、効果的でない手法に固執した無能、という烙印を押されかねない。

 こんな場合、そういった烙印を押されないで済む方法を考えるとしたら、私だったら「とにかく下からの意見を吸い上げる」という行動をとるだろうな。政策をすべて上が決めるのではなく、下からの意見の集約も含めて決めていく。

 民衆が「やれ」と言った政策もやれば、新型肺炎対策が失敗に終わっても、「上だけが悪いわけではない。民衆全体の提案も間違っていたんだ」という言い訳が出来る。言い方は悪いが、民衆も失政の共犯者にしてしまうやり方。これなら、政府だけが悪役になりにくい。

 今の政府にそういった手法が採れるかどうかは判らないけれど、これからの未来、下からの、民衆からの、現場からの意見を積極的に吸い上げて実行しましょう、と表明して実行するやり方が、流行るんじゃないかなぁと思っている。そうでもないと、上だけが断罪されて首を切られる悲劇が増えるんじゃないかしらん。

 まあ、利権の追求だけしか頭に無い状態だと、そんな事を考える余裕も無いとは思うけれど。

 私みたいな下々は下々、民衆以外の何者でもない存在は、ずいぶんお気楽な立場と言える。自分の考えが多くの人々の生活に影響を与えるわけではないし、自分が下した決断で、多くの人々を不幸にしたらどうしよう、と日々煩悶する事もない。

 以前も書いたけれど、自動車会社なんて、けっこう深刻な決断を迫られているんじゃないだろうか。いつ頃から内燃機関のエンジンの車の生産を終えて、電気自動車に乗り換えていくか。「10年後か、5年後くらいでいいんじゃない?」という意見もあれば、「今すぐ実行しなければ、それでも遅いくらいだ」と言う人もいるだろう。どの意見が正しいのか、結果は確実に未来に現れて、正しい決断をした会社と決断を誤った会社とで明暗が分かれてくる。

 自分は、そんな決断をする立場に立たされたら、三日で胃に穴が開く自信がある。

 かといってなぁ、こういう場合、「じゃあ多数決で方針を決めよう」なんて事をしても、正解にはたどり着かないだろう。多数決は所詮、その時点での多数意見に過ぎず、未来を正確に予見する道具ではない。

 新型肺炎もそうだけど、未来が栄えるか衰退するか、立場を失うか留まれるか、そんなきわどい決断を迫られる事柄が多い時代なのかもね。

 正しく未来を予見できる人がいるとして、果たしてそういう人は、競争を勝ち抜いた人の中にいるのだろうか。実は私はそうは思っていない。

 政治の場であれ、企業の場であれ、確かに、競争を勝ち抜いて上に上り詰めた人々は、未来を予見する嗅覚に優れた人である可能性がある。でも、恐ろしい程未来を冷静に予見する人間って、案外、競争とは別の所にいるような気がする。

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