世界はどこまで行っても新緑である。あの山も、あの山の向こうも、全て新緑。山の麓の方から標高の高い方へと、新緑の前線は進んでいく。山道を少し走るだけでも、標高の違いで新緑の進み具合が違うのが面白い。
前回の日記で、この春は寒さの戻りが無い、と言った事を書いたが、この週は少し寒さが戻った週だった。と言っても、雪が降るような事は無く、風が冷たいし、朝晩はそれなりに冷えるな、と感じさせる程度の寒の戻りだったが。上空に冷たい空気が入って来たのだろう。空は晴れてても、たちまち荒々しい雲が湧いて雨を降らせるような事もあった。
この春は、例年よりも季節の進みが早く、3月中に桜の見頃が終わっちゃうなぁと思ってたが、桜も多種多様で、今が盛りの桜もけっこうある。山桜はこれからが本番だし、前述の通り、少し標高の高い所に行けば、まさにこれから開花するところだ。
相変わらず、道志川沿いの各所のキャンプ場は大にぎわい。まあ、一昨年の台風で大変な被害を被ったキャンプ場だけに、お客が多いのは幸せな事だとは思う。被害から立ち直るまでにも多額の出費があっただろうし。
ただ、また新型肺炎の流行が活発化しているみたいだね。昨年の5月の連休は、キャンプ場は休業したけれど、今年はどうなるんだろう。また非常事態宣言とかにならなきゃいいが。
福島の事故を起こした原発で出来た汚染水を、海に流すと政府が言ってきた。この話を聞いたとき、真っ先に思ったのは、「もう政府はオリンピックを諦めたのかな」だった。だってそうでしょう。もう観客は世界から招かないのは確定でも、さすがに選手は招くはずだけど、そんな世界の一流選手に対して、「これからオリンピック会場の近くで放射能を垂れ流します」と言っているようなものだ。選手だって、「そんな国の食事なんてしたくない・・・というか、そんな国に行きたくない」と言い出す人だって現れるんじゃないのか。
前々から、私は東京オリンピックに対しては反対の考えだった。理由は、東日本大震災の復興と被災者の生活の安定にこそ国力を集中すべき、というのと、原発事故の収束が出来ていない状態で、客人を迎えられる状況ではない、という2点。結局、原発事故は、オリンピックに直前まで影を落とす結果になっている。
不思議なのは、なんで政府はこの時期にこんな事を言いだしたのかなぁ。オリンピックが終わってから海に流す、と言う選択肢だってあっただろう。まるで、自らオリンピックを中止に追い込む為の発言みたいだ。
もし、実際にそんな故意による発言だったら、まだ知恵の存在を感じさせるけれど、「放射能は海に流す、オリンピックはやる」と本気で考えているのだったら、狂人の域に達したと見ていい。
原発事故が起こった当時、私がこの日記で主張した事の一つに「福島に原発事故収束の為の大学を作るべきだ」というのがあった。今でもそう思っている。
土壌の浄化、水質の浄化、作業員の安全確保の為の装備の開発、事故を起こした原発の解体の為の技術開発、そういった事柄を総合的に研究し開発し実践に投入できる学問的な場が必要だと。
一方で、そんな事は政府はやりたがらないだろうなぁとも思っていた。何よりも政府の姿勢としては、この原発事故を、「おおごととして捉えたくない」という点で一貫していた。この事故が「おおごと」だとなると、誰かが責任を取らなければならない。これまでの原発推進の政策を変更しなければならない。これまでの利権構造に変更を迫らねばならない。だから「おおごと」にしたくない。この原発事故は「おおごと」ではない。だから騒ぐ必要な無い。非難される必要は無い、今まで通りの政策でかまわない。
そんな気持ちが、「国の知恵と技術を総動員して福島を救う」、という選択肢を亡きものにしたと、私は考えている。
これは現在の、新型肺炎の対策にも、同じ影を落としている。この国に「おおごと」が起きると、従来の利権構造が崩れるので、常に「おおごとではない」という態度でしか対策を講じない。結果、中途半端で小規模で非効果的な対策しか出来ない。
ただなぁ、そろそろ、そんな政府の姿勢も維持できなくなるんじゃないかしらん。
例えば、いくら政府が自然エネルギー・持続可能エネルギーの拡大に消極的でも、世界の方がそれを許さなくなっている。早いうちに日本も対応しないと、「二酸化炭素を排出して作っている」と世界から言われただけで、日本で作った商品を世界で売れなくなってしまう状況が、冗談ではなく近づいている。
民衆の感情を無視したり逆撫でする事は多かった政府だけど、日本の大企業を相手に、同じ姿勢をとれるかどうか。
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