2021年 3月21日

 彼岸を迎えた。木蓮も咲き始めた。例年、藤野で木蓮が咲く場合、途中で霜が降りるような寒い朝を迎え、霜に当たった花びらが茶色く萎れる事が多いのだけど、今年はそのような低温はなく、痛みの無い花びらがゆっくりと散っていく。この春は冬の気配が早々に無くなり、三寒四温どころか、七温くらいの感じで春が進んでいる。妙なもので、寒さが無いのは体としては有難いのだけど、寒さのぶり返しが無いというのも、どこか物足りない気もする。

 20年くらい藤野に住んでいるけれど、3月はおろか、4月に入っても、寒さのぶりかえしには警戒するんだけどね。ジャガイモが遅い霜にやられて芽が傷む事が多く、種芋を植えるのを少し遅めにしたり。

 でもだんだんと、気候変動の影響か、遅い霜の心配をしなくてもいい地域になっていくのかな、藤野は。まあ先の事は判らないけれど、自分が知っている本来の気候が消えていくと言う現象は、寂しさと不安を感じさせる。

 21日は時折、激しく打ち付けるような雨と、山を揺さぶるような暖かい風が吹いた。雨に濡れた土からは、明らかに生命が活動を始めた時の、独特の匂いがする。もしかしたら、この春に関しては、寒の戻りは本当に無いかもな。桜も咲き始めたし。

 3月20日の18時9分。宮城県沖を震源とするマグニチュード6.9の地震があった。最大震度5を記録し、新幹線も一時停止し、けが人も出たという。このところ妙に地震が多いな。今回の地震では津波の心配もあったとか。結局津波の被害は無かったけれど、10年前の記憶が生々しいだけに、精神的に参ってしまった人も多かったんじゃなかろうか。

 おまけになぁ、いくら復興の工事をしても、疫病が流行って観光どころじゃなくなっているからね。被災地の苦労は「いつまで続くんだ」と、終わりの見えないトンネルのような気持ちになっているのではないか。

 思うのだけど、被災した地域の復興に、観光事業を行うのも良いけれど、やはり地場産業を確立するのを主目的にした方が良い様に感じる。観光事業は疫病に弱いというのもあるけれど、どうしても観光事業は、大都市が主で地方が従という関係になりがちだ。大都市と地方が対等になるためには、地方が「主」になれるような産業が、どうしても欲しくなる。極論すれば、大都市の存在に左右されない地方、大都市が無くても成立する地方とは、どういうものか、考える必要がある。

 ああそういえば、疫病の非常事態宣言、やめるってね。やめる理由もよく判らない。決して、疫病の蔓延防止の目処が立ったわけでは無いようだ。

 今回の新型肺炎の騒動で判ったのは、あまり政府に、当事者能力が期待できないという事だったように思う。まあこの辺りの失望や批判は、これまでここでも書いて来たので今更くどくど書かないけれど、そうこうしているうちに、在野の方から、中央政府が駄目なら私がなんとかするぜィ、みたいな人が、ぼつぼつ現れて来る時期だと感じる。これも時代の流れの現れだろう。利権政治にばかり夢中になっている間に、問題解決能力を喪失してしまい、自分達では何も出来なくなってしまった中央政府を見ながら、とりあえず現場でなんとか知恵と実践で問題を解決しざるを得なかった人々も確かにいるのだ。どちらが真の実力者になりうるのか、言うまでもない事だろう。

 たぶんこれから、現場で問題解決能力を磨き続けてきた人たちが現れて来て、次の時代の標準を作っていくんだろうな。

 それにしてもなー、オリンピックはどうやら無観客でやるつもりらしいが、最期の最期まで、ここからはあまり高くない人格の匂いしかしないな。類は友を呼んだんだろうけれど、もうここには古い時代の腐敗臭しかしないし、ここから次の時代の標準が現れることは無いと思う。

 まあせめて、選手達には有意義な大会であって欲しいけれど。

 類は友を呼ぶのは、もちろん悪い意味だけではない。真の実力を蓄えて来た人々も、案外、すでに友達として関わりを深めているのかもしれない。そんな人々が動き始めたとき、世の中はどう変わっていくか。

 その時期は、以外と近く、また変化の度合いもかなり大きいと想像しています。

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