2021年 3月14日

 一週間に一回は雨が降る様になった。カラカラだった山も、少しずつ潤いを取り戻していくだろう。フキノトウやスミレが顔を出し、一雨ごとに、冬が脱皮していく様に春になっていく。

 この冬は雪が少なく、丹沢の残雪もほとんど見当たらない。普通だったら3月初旬なら、けっこう雪が残っているものなんだけどな。車も、スタッドレスの効果を発揮したのは、1日か2日だけだったと思う。もっとも、じゃあもう普通のタイヤに交換してもいいや、とはならないのがこの地域の油断のならないところで、4月半ばでも、思いもよらぬ雪で車が立ち往生することもあるからね。

 相模原市で、新型肺炎で仕事を失ったり減収したりで住む場所が無くなってしまった人に対して、市営住宅を一時提供すると言う。家の広さと場所柄を考えると、なかなかの破格値に思える。まずは10戸で、先着順とのこと。

 相模原市では、これまでも災害などの際には市営住宅の提供を行って来たけれど、なかなか思うような利用はされてこなかったそうな。なんでも、提供される市営住宅の立地が、交通の便も悪く買い物にも不自由するような所が多かったからとか。どうも、中古住宅を買い上げて市営住宅として使っているようで、なんとなく、ああ、不便なところにありそうだなぁという想像は湧く。前の住人が手放す家なんて、たいてい、不便な家だから、と言うのが理由だろう。

 もう一つ、これまでこういった市営住宅があまり利用されなかった理由として、照明機器やガスコンロとか、生活に必要な設備が無い状態での提供だったことがあるそうな。災害や疫病などで失業した人にとって、手持ちの現金すら乏しい状態では、なかなか緊急避難的に住む家としてはハードルが高く、利用目的としては現実的ではなかったのだろう。

 で、今回の住宅提供では、立地の良い家を選び、照明器具やガスコンロやエアコンの設備が付いた状態での提供になるという。まあさすがに、「家財道具や布団、カーテンなどは各自で用意してくれ」、とは書いてある。提供期間は原則6ヶ月。最長一年までは延長可能。この期間の内に、生活を整え、仕事を確保し、自立できるだけの状態に持って行ってくれ、という事なのだろう。

 それにしても、3月11日を機に、「あの震災から10年」、とか、いろいろ振り返る話も多かったけど、私の印象としては、それ以降も九州や北海道で地震があったり、毎年の様に風水害があったり、おまけに疫病まで流行ったりと、「振り返る」というよりも「苦難は継続中・・・というか、もっと厳しくなっていやしないか」という気持ちもある。

 まあこの私の印象は、私がネクラ人間なので、物事を悪い方向にばかり考えているからかもしれない。どんなご時世でも、「いやあ、大きな声では言えないけれど、儲かっちゃって儲かっちゃって、幸せすぎてウハウハですわ」という人だって沢山いるはずだ。

 ただ、昨年からの疫病の影響で、また自殺者が増えたと言う話も聴く。特に女性の自殺者が目立つらしい。そんな話を聞くと、トンネルの出口はまだかいな、という気持ちにもなる。

 で、季節は春に向かう。こんな歌があるのだけど。

スピッツ / 春の歌

 最近、この歌にまつわる話として、鬱病など心の病を受けた人が、そこから再出発して、自らを回復させていこうと奮い立たせる際の励ましの歌として、この歌をよく聴いていたと言う話を聞いた。たしかに、そういう視点からこの歌を聴くと、そういう歌にしか聴こえない。

 歌詞にはこんな言葉が出て来る。「重い足でぬかるむ道を来た トゲのある藪をかき分けてきた 食べられそうな全てを食べた 平気な顔でかなり無理してたこと 叫びたいのに懸命に微笑んだこと」そんな状況に身を置き、まだまだ、冬のさなかにいる人も多いはずだけど、春に向かっていくといいですね、と祈るくらいしか、私にはできないや。

 それにしても思うのは、窮民に家を与える程度の事くらいなら、それほど金はかからないんじゃなかろうか。昨年は馬鹿げた布マスクを全世帯に配って税金をドブに捨てた政策もあったが。

 資本主義経済って、窮民を救うことなんかよりも、金持ちをより金持ちにする事しか頭に無くなってしまう危うさがある。

 金儲けもけっこうだけど、もうちょっと人としての節度があれば、案外、窮民を救うのなんて、わけは無いんじゃないかと思う。世界中を動き回っている金の規模を考えれば、全ての人々が普通に暮らせるための経済の規模なんて、もはや微々たるものだろう。

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