2021年 2月28日

 2月も終わり。春の陽気に包まれる日もあるが、まだ週の大半は、冷たい風の吹く日が続いている。こんな日は布団を干しても、布団がふっくらと暖かくなってくれない。家の中の、陽の当たる南側の部屋の、ガラス戸のそばに置いておいた方が暖かくなってくれる。杉の花粉に悩む人にとっても、室内で干した方がいいだろう。

 栃木では山火事が続いているらしい。先々週の月曜日に季節外れの豪雨があったが、昨年の11月頃から極端に雨の少ない気候が続いたせいか、少々の雨では川の水量が回復せず、枯れたままの沢もある。これでは山火事も多発するだろう。

 冷たい風の中、少しバイクで近所の山野を走ってみる。十分に防寒着を着こんでのお出かけだが、さすがに車と違って顔面は風が当たって冷たいのなんの。でもこれも冬ならではの実感だと思う。冬の光、冬の色、冬の風、冬の匂い、冬の音、すべてが美しくいとおしく思えるのは、震災の日が近づいているからだろうか。「今、生きているからこそ、冬の厳しさも味わえる」と思えば、全てが美しく光輝く。

 あー、でも私が豪雪に日々打ちのめされている雪国で暮らしていたら、同じ事が言えたかなァ・・・(笑)。「もう勘弁してくれ」と泣いて喚いているかもしれない。

 前回の日記で今の世の中を、もはや悪事さえ成就できないほどに健全性が崩壊している、と書いた。悪徳に基づいて悪事を働こうにも、指導者には優秀な統率力と人格が必要だし、組織を構成する人間にも、計画を正しく実行できる知恵と実力と協調性が必要になる。「善」や「正義」といった精神を失うと、まともな仕事はおろか悪事すら出来なくなって、「何も出来ない」という状態になってしまう。

 中島みゆきの『こんばんは』という歌を思い出すな。歌詞の一部に「♩ あれから何をやっても上手くはいかず・・・」という一節が出て来るんだよ。

 あと、何をやっても上手く行かない理由のもう一つに、何をするにしても、出発点の動機が悪い、というのがある。どんな事業をするにしても、出発点の動機が不純で悪徳から始まっていると、まるで何かに呪われたように、その事業はつまづきが続き、上手く行かずに勢いを失って空中分解していく。

 まあこんな事を言えば、青臭い事を言いやがる、と思う人も多いだろう。この世の中は欲望で動いているのであって、正義や理想で動いているのではない、と。

 ただまあ、これは私なりの、今まで生きて来て、見聞きして来た経験からの実感だけど、やっぱり、出発点の動機が不純だと、うまくいかない事ばかりが続くな、と思う。

 そういえば、このところになって、ブラック企業とか、パワハラとかモラハラとかセクハラとか、悪徳を許さない風潮が強くなってきたね。たぶんそれまでは、利益をあげる為なら少々の悪徳なんて許容してしまえ、という考えが主流だったのだろうが。

 コンプライアンス、と言う言葉も定着した感がある。日本では、特に企業が、法令や規則、社会的規範や倫理などを遵守する事を意味する言葉として使われるが。

 いずれ、悪徳を前提としなければ経営が成り立たない企業なんて、さっさとつぶれてしまえ、という気風の方が主流になるのかもしれないな・・・というか、既になっているのだろうか。

 もちろんこの流れは良い流れだと思う。この日記で時々、今年は裁きの年になるのではないか、と書いて来たけど、悪徳に流されるまま続いて来た組織が、世間から許されなくなって居場所を失っていく時期が、しばらく続くと思う。

 問題はその先かなァ。これまで「悪徳」という言葉を使い続けたけれど、それは人間が欲望に突き動かされて活動していく以上、悪徳が社会に入り込むのは避けられない。

 悪徳が消えていく世の中って、実は人間が欲望を失いつつある世の中なんじゃないか、という疑問も沸く。

 21世紀がどういう時代になるかは判らないけれど、欲望がふくれあがって、活動的で活気があって、時には悪徳の暴走も許した20世紀と違って、欲望の少ない、静かで倫理的な時代になるのだろうか。それはそれで、そんな時代を寂しく、物足りないと思う人も多いだろう。

 自分はと言うと、静かな時代が少々長く続いても良いのではないかと思っている。この世の中には、ブラック企業に自分の貴重な時間をつぶされた人も多いと思う。そんな人たちが、まともな扱いを受ける生き方を享受できてからでも、にぎやかで活発な時代を復活させてもいいのではないか。

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