15日には、この時期には珍しい豪雨が降り、それからしばらく冷たい風の吹く日が続いたが、週末になって、今度は一気に春が来たような陽気になった。こうも寒暖の差が激しいと体調が追いつかない。山には、黄色い小さな花が咲き始めている。クロモジかシロモジかアブラチャンか判らないが、この花が咲き始めるといよいよ冬も終わりになる。
北風が吹き荒れる冬型の気圧配置は、よく西高東低と言われる。この西高東低にも、2種類あるらしい。一つは大陸の寒気がやたらと強い場合。寒気は高気圧なので、相対的に太平洋側は低気圧になり、西高東低の形になる。
もう一つは、大陸の寒気はそれほど強くないが、日本列島を西から東へと低気圧が通り過ぎ、日本の東海上に低気圧が行った場合。これも気圧配置は西高東低になり、北風が押し寄せて来る。同じ冬型の気圧配置でも、前者は真冬の形で、後者は春の形だ。
22日から、篠原からプレジャーフォレスト(旧相模湖ピクニックランド)へと至る道で、一昨年の台風被害で土砂災害を起こした場所の、復旧工事が始まる。その関係で、朝9時から夕方5時まで、この道は通れない。工事を休む土日は通れるようだが、この通行止めが5月下旬まで続くと言うから、そうとうな大工事なのだろう。
前回の日記で、一見、悪徳と腐敗にまみれた世の中のようでいて、あらゆる組織は、善とか正義を掲げなければ成り立たない、といった事を書いた。新聞やテレビは、日々、社会に悪徳がはびこっていることを伝える。その影響もあってか、どうしても、この世は悪徳を元に動いていると考えがちだ。
ただ、私はよくこんな例えを使うのだけど。
物騒な例えだが、ある集団が銀行強盗を企むとする。これを成功させようとしたら、どの銀行のどの場所に、どの程度の金額が保管されているか、どのような警備体制が整えられているのかの、正確な情報収集が必要になるし、得た情報に基づいた正しい計画を作る必要がある。
この計画に参加する人々には、それぞれがミスをしないように注意して、ときには訓練も必要かもしれない。お互いが裏切らない、信頼関係も必要だろう。計画を正しく実行するには、そりゃあ勇気も必要だし、計画に無い予想外の事態に直面した場合に、臨機応変に対応できる知性と行動力も必要になる。
何が言いたいかといえば、悪事を働くのでさえ、その組織の人間には、「正しさ」が必要だと言う事だ。
言い方を換えれば、組織の人々に「正しさ」が無くなったとき、その組織は悪事すら働く事は出来なくなる。的外れな情報収集に基づいて作った的外れな計画を、協調性も実行力も伴わない人間たちが、むりやり実行に移す。これで上手く行くはずが無く、むしろ、実行に移す前に、組織内で不和が発生して計画事態が瓦解し、何もできずに終わる事も多いだろう。
まあ、今の日本の世の中を見ると、そんな事を思う。もはや利権政治すら、まともに運営できずに、空中分解するような状態に陥ってしまったのではないか。世の中の「時代の終わり」には、いろんな形があると思う。その一つとして、利権政治も悪徳の政治も、なにをやっても形にならず、自壊していくというものが、あるのだと思う。
なんだか絶望的な事を書いているが、必ずしも私は絶望していない。商売をしている所は、経営を良好な形で進めている所もあれば、成り立たなくなって消えていく所もあるだろう。どんな世の中でも、組織を存続させようと努力している人々は必ずいるもので、そこには、善や正義といった健全性を常に保つ努力もしているはずだ。
たぶんこれから、何も出来なくなった組織が枯れていく一方で、健全性を保った組織が芽を出してくる季節に入っていくのだろう。
早春には、そんなイメージがある。全てが枯れた、荒涼とした景色の中で、小さな芽がうごめき始めている。まだ、霜が降りて枯れてしまうような小さな弱い芽も多いと思うが。
数年後には、馬の小さな芽が、もっと力強く、数多く世に出ているんじゃなかろうか。
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