13日の夜11時8分頃、福島県沖を震源とするマグニチュード7.3の地震があった。幸い、津波の心配は無いと早い段階から伝えられたが、土砂崩れや大規模な停電もあり、道路や鉄道が完全に復旧するのには、少し時間がかかるらしい。
ただ今の所、人命に関する被害は伝えられていないようだ。もちろん、怪我をした人なら幾らかいるはずだとは思うけど。家屋の被害だって、そりゃあこれほど大きな地震があれば、沢山あるだろう。何しろ、震源に近い地域では震度6の揺れを記録している。
普通、マグニチュード7クラスの地震が、世界の他の地域で起こったら、それこそこの世の終わりが来たような被害をもたらすが、日本はとりわけ地震対策が進んでいるのか、これほどの地震が起きても、割と平然としている。あと、今回の地震は、だいたい揺れた地域が東日本大震災の時と重なっているので、もしかしたら、揺れに弱い建物は、10年前に倒壊して解体されたか、耐震補強がなされていて、脆弱な建物は残っていないのかもしれな。
藤野の揺れは、それほど大きいものではなかった。小刻みに、それでいて長く揺れが続き、「ああ、これは相当大きな地震が、それも遠方で起こったな」と想像させる揺れだった。
また3月11日が来る。いろいろと地震災害に対して、再確認をするタイミングで起きた、大きな地震だったね。
なんか、東京オリンピックの話は、どんどんボロボロになっていく。ほんとに開催できるのかねぇ。
考えてみれば、このオリンピック、天が味方をしない・・・というか、天から見放されたような話がずっと続いて来た。スタジアムの建設のデザインでもつまづき、エンブレムのデザインでもつまづき、ついには疫病の蔓延に泣かされた。
不幸が重なる不運のオリンピックと言えるが、一方で、自ら招いた不運という側面も多いと思う。一言で言ってしまえば、このオリンピック、悪徳の持ち主が関わって台無しにしてしまう事例がやたら多い。やはり、あまりにも金儲けに走り過ぎると、その場は、たちの宜しくない人間の巣窟のようになってしまうのだろう。
こんな事を言うと、こんな反論を食らうかもしれない。「この世の事業のほとんどは、お金を回す事に依って成り立っているのだから、お金儲けに走るな、と言っても無理がある。利権に群がる悪徳の持ち主が少々いても、しかたがないだろう。」と。たしかにそうかもしれない。人間は神様でも聖人君子でもない。理想だけで動く存在ではない。欲望で動いている存在だ。
しかし、それだからこそ人間の世界では、絶えず「悪を防ぎ、善を称揚する」姿勢をとり続ける必要があると、私は考えている。孔子は「政治とは正義である(『論語』顔淵篇)」と言ったが、一見、こんな言葉は、現実を知らない青臭い言葉に聞こえるかもしれない。現実を見ろ、世界史を振り返ってみろ、この世界は正義の歴史ではなく、悪徳と欲望の歴史だ、という言葉には、つねに説得力を持つ。
でもね、そんな世界史も、別の視点から見ると、それぞれの時代の人間が、必死になって法を作ったり、倫理の規定を作ったり、宗教を国教にしたりと、善を称揚する努力を続けて来た歴史でもある。
世界史には、様々な地域で群雄割拠の戦国時代があったが、その中でのし上がって、地域を統一するような巨大な権力を手に入れた国には共通点がある。まだそういった国が小国だった頃、法を整備し、法を厳格に運用し、体制内の腐敗を抑制し、組織の自浄作用を高め、能力のある人材は能力を十分に発揮させ、悪事を働く人間は権力の座につかせない様にする。能力のある人材は身分が低くても登用し、悪事を働く人間は高い身分の人間でも処罰する。
世界史は、欲望と悪徳の歴史かもしれない。でも、並みいる群雄から一歩抜け出して、地域を統一するような帝国の出発点は、正義の実行に熱心だった場合が多い。中国を最初に統一した秦も、その覇業のきっかけは、商鞅の改革だった。
商鞅の改革については、以下の動画が参考になるかな。
この改革は、現代の目から見れば、決して理想的でも人道的でもない。私だって、そのままの形では支持しない。ただ、身分の上下の別なく、正義を実行し、悪を処罰する厳格さが、国の発展の出発点になったのは確かだろう。商鞅自身は、結局、処罰される側になってしまったが。
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