水曜日は立春で、その翌日の木曜日は風が吹いた。どうやら春一番らしい。といっても、名前ほどには暖かい風ではなかった。今回の冬は、昨年の12月から今年の1月にかけては、けっこう本格的に寒かったが、1月の終わり頃から冬将軍も息切れしたらしく、割合に穏やかな日が続いている。もちろん、ストーブが無用になるような陽気にはまだまだ遠いが。
陽は高く、力強さを増し、冬も峠を越しつつある。このまま春になるのかなぁとは思うが、何年か前の恐ろしい豪雪の時は、1月が妙に暖かく、二度に渡る豪雪は2月に降った。あの経験があると、そう簡単に安心はできないな。
あの時は1メートル近い積雪があって、数日、家から出られなかった。まあ米も乾麺のたぐいもレトルト食品も普通にあったので、その期間の食料に困る事は無かったけど。やはり、常に一週間分くらいの食料は備蓄しておくべきだなぁと実感したっけ。贅沢な悩みだけど、紅茶とかコーヒーとか、嗜好品が早々に無くなったのは、家に閉じ込められている身には、ちょっと寂しかった。
篠原の自治会から、3月下旬に行われる予定の自治会の総会が、疫病を理由に行われない事になったと知らせがあった。
ミヤコの方から、かつて首相までやった人の舌禍事件の報を聞く。まったくこの人は、真面目に頑張っている人の足を引っ張る事に関しては、職人的、芸術的、天才的な天分をお持ちだ。
まあこの人に限らなくても、なんでこんな足を引っ張る事しか出来ない人が、こんな責任ある立場にいるんだ、と思わせる事件が多い。よく、世の中を良くするにはどうしたらいい?、なんて悲鳴みたいな嘆きを聞くけれど、とりあえず、不祥事を起こした人から退場ねがうだけで、だいぶ世の中はすっきりするんじゃなかろうか。問題は不祥事を起こした人が退場を拒み、また世の中がそれを許している所にあるのだろう。
ただ、以前この日記で、今年は裁きの年になるんじゃないか、と書いたが、いろいろと溜まりに溜まった矛盾を解消する為に、世の中が重い腰を上げざるを得ない所まで来ている、と私は思っている。いくら当人が、権力の座に居座りたいとダダをこねても、周囲がかばいきれないか、権力そのものが解体しかねない事例も出て来るのではないか。
それに、これから、既存の世の中の形がどんどん解体される理由があると、私は考えている。たぶん、新型肺炎の流行で痛んでしまった世界経済の問題も、その解体の流れを加速させるだろう。
その理由は何かと言うと、痛んでしまった世界経済を少しでも救う為に、新技術の導入が、予定よりも前倒しで進められると思うから。
新技術の導入なんて言うと、世界がより便利に明るくなって行く印象しか無いが、経済の分野から見ると、イス取りゲームのような過酷な収奪競争の始まりでもある。新技術の導入で、旧技術にそれまで流れていたお金が流れなくなる。写真がフィルムからデジタルに変わって、それまでフィルムを作っていた企業や、フィルムの現像をしていた企業や、現像の為の薬品を作っていた企業に金が流れなくなり、その分のお金は、他の分野に流れて行ったのだろう。
自動車を内燃機関から電動へ変えて行く流れも、予定よりも前倒しで進められるんじゃなかろうか。この現象でも、多くの仕事と雇用が無くなっていくだろう。
資本主義経済って何だろうと考えた時、こんなイメージが浮かぶ事がある。ある森に蛇がいて、森の生き物や植物までどんどん食べていっては、体を大きくしていく。体が大きくなればなるほど、大型の生き物を食べる様になる。
いつしか、森じゅうの生き物を食べつくし、森じゅうの植物も食べ尽くし、他に食べる物が無いので、仕方なく自分のしっぽを食べ始める。
新型肺炎の流行で痛んだ経済を復興する為に、経済界は大慌てになって、新技術を導入して、お金の流れを変えようとする。その過程で、世の中の企業の数も、労働力の数も、従来よりも少なくてもいいような世の中を作ろうとするだろう。経済界がお金を儲けようと思えば思うほど、経済全体の規模は縮小して行く。
なんかその流れが、しっぽを食べ始めた蛇の姿に重なる。
組織が解体しやすい時代であれば、友達や知り合いを組織の中だけに限定するのではなく、組織の外にも友達や知り合いを作っておいた方がいい。
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