2021年 1月10日

 冬らしい天気が続く。相変わらず降水は無く、青い空が広がり、時折、季節風が吹き抜ける。それ以外の時間は、まるで全てが眠った様に静けさだけが残る。たまに、どこか遠くでチェーンソーの音がする。薪ストーブ用の薪でも作っているのだろうか。

 この冬は、寒さも冬らしい。朝はマイナス7〜8度くらいまで下がり、森の小川も、流れの緩やかな所では氷が張っている。藤野のあちこちの家で、「水道管が凍って破裂した」と同時多発的に騒ぎになり、水道屋さんがてんてこまいになっている。このところ暖かい冬が多かったから、つい水道管の凍結防止策を忘れた家も多いのだろう。

 日本海側の雪国では、ずっと大雪らしい。場所によっては数十年ぶりの積雪を記録した所もあるとか。また昨年末の関越道のように、道路上で雪で車が動けなくなり、数百台もの車が閉じ込められる事態が北陸であった。こうも同様の事件が続くのは、何か理由があるのだろう。やはり、このところの暖冬傾向で、豪雪への備えに油断があったのだろうか。冗談抜きで、雪国に車で行くときは、雪山でも使える保温性の高い寝袋とか、非常食を積んで行った方がいいかもね。

 新型肺炎で、神奈川県にも非常事態宣言が出た。藤野でも、駅前の観光案内所の「ふじのね」とか、やまなみ温泉が休業になる。年明けそうそう厳しい事態だけど、感染が拡大しているからなぁ。

 昨年末の日記で、今年は「裁きの年」になるんじゃないかと書いた。これまで溜め込んで来た世界の矛盾を、ある程度、解消しざるを得ない所まで来たと。

 人間は善意だけで動いている生き物ではない。「悪徳」だけで動いている・・・とまでは言わないが、他者を犠牲にしてでも自己の利益を図るくらいの事は、普通にしかねない生き物だ。世界に悪徳がはびこる原因は何か。いろいろ理由はあるだろう。私がひとつあげるとしたら、「旅の恥はかきすて」という気持ちを考える。

 小さな村があったとする。そこに住む人は、互いに、相手がどういう人か判っている。長年に渡って、どの人がどのような行動をしてきたのか判っているので、「あの人はかつて泥棒をした事がある」とか、「あの人はかつて暴力を振るった事がある」とか、みんな知っている。こういう環境だと、下手に悪事を働くのもためらう様になる。自分に「悪人」という烙印が永遠に押されてしまうのが怖くて、悪事を自制する気持ちが生まれる。

 これがいったん、「旅人」の立場になると、悪事を働く事にためらいが無くなる人が出て来る。ある村で悪事を働いても、その村人に悪事が露見する前に、村から逃げてしまえばいいのだ、と考える。

 さて、ここ数十年。世界の経済はグローバル化を進めて来た。国境を越えて世界をかけめぐる、多国籍企業の闊歩する時代になったと言える。この傾向、世界に徳をもたらしたのか、悪徳をもたらしたのか。

 私はなにもここで、多国籍企業を悪徳の持ち主だと糾弾するするつもりは無い。中には良心的に活動を続ける企業もある事だろう。ただ、前述の村の例えで言えば、村人が地場産業だとしたら、旅人はグローバル経済の商人だろう。地場産業が、悪徳による行動がしにくい傾向が構造的にあると同時に、グローバル経済の商人は、悪徳に流されやすい構造的な立場にいる・・・とは言える。

 その土地に住む人々が不幸になろうとかまわず、やりたい放題の事をやって、ばれる前に逃げてしまう。そんな経済活動の横行の結果が、現在の矛盾の蓄積の原因だとしたら、「旅人」の行動に制限を加えるのも、悪徳の横行を阻止する手法の一つになるだろう。

 おそらく、今後更に情報化社会が進むにつれて、世界全体が地球と言う「村」になる時代が来ると思う。そうなると、悪事を働いて、ばれる前に別の村に逃げる・・・という事が難しい時代になってくるだろう。

 悪事の「やったもの勝ち」という時代が終わる時、それは地球全体が「村」になってしまう時代であり、新天地・フロンティアの消失も意味するだろう。悪事の「やったもの勝ち」と考える人々が活動しにくくなるのは大いに結構なんだけど、一方で、閉鎖的な「村社会」の誕生となると、それはそれで不安がある。

 まあ当面は、行き過ぎたグルーバル化への反省が進むだろうけれど、悪徳ではなく、善意で動く旅の商人であれば、これからの時代だって、大いに必要とされるはずだが。

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