2021年 1月3日

 新しい年が始まる。もっとも、山里の冬は妙に静かで、大晦日も元旦も静かに通過して行く。いかにも関東の冬らしい気候で、青い空と乾燥した天気が続くが、個人的には水の不足が心配になって来た。私の棲む家は水は水道ではなく沢水で、沢の上流からパイプで水を運んでいる。その水量が、箸一本にも満たないようなか細い状態になり、これが更に渇水が続くと、ポタリポタリと水滴が落ちるような規模の水しか来なくなる。

 例年、冬は渇水になるのはいつもの事だけど、今回の冬はちょっと厳しいし、これほどの渇水は初めての経験かもしれない。そういえば、昨年の11月頃から、あまりまともな雨は降っていなかった気がする。

 週間予報を見てみても、しばらく降水は望めそうも無い。一応、タンクには水が満ちているけれど、どのくらいもつだろうか。千葉県の南部の自治体では、渇水でダムの水量が乏しくなり、断水の危険性が増して来ているそうな。雪国ではけっこうな大雪になっているのにねぇ。

 この乾燥が原因なのか、もっと別の理由があるのか、新型肺炎の流行が更に拡大して、南関東の県や都では、非常事態宣言を出すべきという声を上げた。国はこの件に関して、どう動くのだろう。

 前回の日記で、今の日本は、次に何を目指すべきかの国民的合意が成熟していない、といった事を書いた。実の所、私自身にも、明確な確信の持てる目標なんて想像できていないし、提案も出来ない。

 ただ、目標は提案できないけれど、今、これはやるべきではないか、という事柄なら、一つ提案できる。それは、セーフティーネットの構築だ。

 新型肺炎の影響で、仕事を失ったり、酷い場合は住む場所を失う人まで出て来てしまう現状になってしまった。とりあえず、仕事を失っても、収入を失っても、生きる事に絶望しなくても済むような仕組みは、大急ぎで作るべきだろう。これは、疫病対策だけの話ではない。

 新しい目標に船出するのなら、その目標が不発だった場合でも、生活が破滅しないような仕組みが無いと、怖くて船出なんてできないのではないか。これから、未来に対していろいろと実験をしていく必要に迫られると思うけれど、実験の失敗が人生の終わりになってしまったら、誰も挑戦なんてしようとしなくなる。

 逆に言えば、実験や起業に失敗しても人生が破綻するわけではなく、いくらでも再挑戦できるような下支えがあるのなら、雨後のタケノコの様に実験や起業をする人は出つづけるだろう。

 「これが次の目標だ」と言われても、成功する確信が持てない目標に、やみくもに突っ走っても、十中八九、失敗するだろうなぁと思うし、人々もついて来てくれないだろう。「目標」を設定するより前に、人々が安心して「目標」を目指せるセーフティーネットを作ることこそが、最初の「目標」になると考える。

 おまけに、たぶん、これからの目標の中には、人間にとって、自殺的な目標も増えて来ると思う。「自殺的」なんて物騒な言葉を使ってしまうが、労働者を必要としない会社や工場とか、人を必要としないインフラの建設とか、そういったものを作るのが未来の目標の、大きな割合を占めるのは想像できる。

 人が頑張って目標に突き進めば突き進むほど、人が必要ない世の中へと突き進む。この状態で、セーフティーネットも無く目標に突き進んでも、それは自殺行為に等しい。

 これから、人が「仕事」をするということはどういう事か。「経済」が破綻しても「生活」には悪影響が及ばない仕組みとは、どういうものか。議論を深めて行く事になるのだろう。その過程で、人々にとって、何が幸福で、何が理想的な生き方で、何が理想的な世の中の形なのかについても、考察が進んで行くのだと思う。

 20世紀の世の中の形は、20世紀の内は良かったかもしれないが、21世紀には、そのまま使うには不向きになっている。一例を挙げれば、日本で言えば、人口が減って行く世の中を作っているという点で、人々を幸福にする装置としては、機能していないと言っていいだろう。

 どんなに経済を優先しようとしても、その根本となる人々は、老いて、減少して、町も消えようとしている。株価は高いが人も町も消えて行く・・・、なんて世の中は、悲観主義的なSF小説の設定みたいなものだ。

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