2020年 12月27日

 この週は少し寒さは緩んだが、それでも秋に戻ったわけではなく、やはり冬の気候だった。朝には木々の梢に霜が張り付き、朝日にきらめいている。もはや山の景色に秋の名残は無い。冬至を過ぎて、陽は徐々に伸びているはずだが、しばらくは寒さの本番を向かえるだろう。なんでも、年明けの頃には強い寒波が来るそうな。

 年末になって、牧馬には嬉しい話がある。昨年の台風で崩れてしまった、牧馬から中沢へ至る道だが、これまで暫定的な仮復旧の応急工事だったのが、ようやく本格的な修復工事が始まるという。今までフレコンバックという大型の袋に土砂を詰め込んで、それを土嚢として使って崩れた所に配置していたが、この応急措置も丸々一年続いた事になる。まあ藤野には、こんな応急措置の場所が他にもあちこちにあるのだが。

 とりあえず、今年は藤野には、酷い水害は無くて済んだ。そのおかげで、安定して復旧工事が各所で進められたとも言える。ただやはり思うのは、気候がおかしくなって、毎年の様に水害が襲う様になったら、復旧のスピードよりも崩壊のスピードの方が圧倒的に速くなってしまい、町が維持できなくなってしまうのではないか、という不安がある。

 新型肺炎の心配と被害ばかりが強調されがちな2020年だけど、持続可能な社会という意味では、災害の被害を受けにくい町の形をどう作って行くのか、昨年に続けて考えて行く必要があるのは変わらないだろう。

 鬼が笑うのは承知で、来年はどんな年になるのかを考える。まあ今年が今年だったから、考えざるをえないよね。

 世界全体でみれば、やはり疫病の為に、家に閉じこもるような年になるんじゃないかなぁと思う。勿論、新しい薬が出来たり疫病の流行が治まったり、あっけなく解決する可能性も無くはないが、それを未来の予想の前提にするのは甘過ぎだろう。おまけに、更に感染力の強い変異種まで現れて、あっけなく日本にも上陸した。

 疫病以外で言えば、けっこう「裁きの年」になるような気がする。これまで溜まったツケを払わせられるような。

 ここ何年か、1パーセントの金持ちが99パーセントの民衆を搾取して虐げている、という反発が広がっているが、こういった不満は、どこかで、何かの機会で解消しなければならない。資本主義が広く支持されるためには、幅広く、多くの人々を幸福にする装置として機能しているかが重要になる。一部の人だけを幸福にして、多くの人々を不幸にする装置だと人々が考え始めたら、人々の離反と世界の崩壊が始まってしまう。

 世界史を見れば、過去のどんな国々も、勢い良く栄えて行く時期もあれば、国の内部に矛盾を抱えて、内乱が起きたり衰退が進んだりする時期がある。また、そんな矛盾をある程度解消して、再建に転じる時期もある。矛盾の解消は、穏やかに、平和的に進めば理想的だが、たいがいは「裁き」という闘争を伴う。

 アメリカなんか見ていると、本気の大げんかをしているね。大の大人が本気の喧嘩をすると、どんな手段でも取りかねない。これも、矛盾の解消には不可欠な過程なのだろう。

 日本国内を見ると、こちらも似たような矛盾の解消を迫られている。日本の場合、世の中が完成されきってしまい、伸び盛りの若々しさを失い、利権の構造は国を栄えさせるよりも崩壊させる方向に機能し、矛盾を解消しようにも自ら動けなくなっている。

 来年やると言われているオリンピックも、昭和の時に行われた、日本が伸び盛りの時の若々しさはない。ただ利権のため、一部の人間の利益だけの目的で行われ、多くの人々を幸福に導く力にはならない。これはもはや、死んだオリンピックだ。このような神事では天の祝福もあるまい。

 資本主義同様、それを行う事によって全体が幸福になるのか、一部の人間だけが幸福になって他の大勢が不幸になるのか。それによって、世の中が成長に向かうのか、崩壊に向かうのかの差になっていくのだろう。

 ただ日本の場合、じゃあ次は何を目標にしたらいいんだ、という国民的な合意が、成熟していない。そのために、新しい世界へと歩むわけでもなく、同じ所で踏みとどまったまま、縮小再生産を続けるしかなくなっている。

 来年、その解決の答えが出るとは、正直、私は思っていない。まだ足踏み状態が続くのだろう。

 なんか暗い話ばかり書いてしまったが、実は基本的には悲観していない。ようやく長いトンネルの出口が見えて来たかな、と思っている。

 矛盾の解消のためには、まず自分自身、矛盾に陥っている事を人々が自覚する所から始めるしかない。そんな自覚は、だいぶ浸透して来たのではないか。

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