この週は真冬の寒波がやってきた。いかにも関東の冬らしい深い青空と、冷たい季節風が吹き抜けて行った。雪国では大変だっようで、関越道では2000台を越える車が雪で立ち往生してしまい、中には40時間も車の中で過ごした人もいたとか。これは下手をすれば死者を出しかねない事件だろう。再び道路が使える様になるまで50時間以上かかった。
確かに酷い雪だったかもしれない。地域によっては記録的な降雪だったという。ただこの出来事、長年の暖冬傾向に慣らされて来た油断もあったんじゃないかなぁ。たぶん現場も、「まさか12月中旬で、いきなりこんな雪が降るとは」と、想定外だったのではないか。
気候変動と聞くと、温暖化の話ばかりが先行しがちだが、気候が極端になるという傾向も常に考慮しておいた方がいいだろう。ゲリラ豪雨という言葉が生まれたのなら、ゲリラ豪雪という言葉だって生まれるかもしれない。何年か前に藤野でも、地元の古老でも経験した事の無い大雪が降ったが、「かつてよりも温暖化しているのに、記録に無い大雪が降った」というのもありうるのだろう。
21日は冬至。次の週は、少しは寒さが緩むそうだ。
前回の日記で、疫病の拡散防止にマスクはそれほど役に立たない、という見解に対して、自分だったらどうするかについて書いた。
自分なりの考えは、たとえマスクの効果がそれほど無いとしても、まだ科学的に何%の効果があるか確定していないし、無意味と言う事もないだろう、と言うのが一点。また、疫病に弱い人々に対する配慮として、やはりマスクは付けるべきだろう、というのがもう一点。
たとえマスクの効果に対して懐疑的な人であっても、身体的に弱い人々と歩調を合わせる優しさも、必要なのではないか・・・といった事を書いた。
疫病の流行前から、次の時代のリーダーの在り方とは、どのようなものかと考える事はあった。それが、疫病の流行を機会に、ますます考えざるを得ない状況になったとも言える。人にはそれぞれいろんな考えがあるだろう。「こうすべきである」という様々な意見は、時に互いに対立し、どちらが正しく、どちらが主導権を取るかで相争う。
そんな中、私は、しばらくは、山登りのリーダシップで行くしかないんじゃないかなぁと考えている。
山登りのリーダーシップというのはどういうものかと言うと、複数の人間で山登りをする時、先頭に経験と実力に優れたリーダーを置き、しんがりにリーダーに次ぐ実力者を置き、その間に、経験も実力も乏しい人を配置するやり方。
この方法だと、リーダーは常に、弱者に無理がないかを確認できるし、弱者の歩調に合わせて歩みを進める事になる。弱者を脱落させない手法と言える。
このやり方。弱肉強食の考え方に慣れた人には受け入れがたいかもしれない。弱者は切り捨てて、強者のみが生き残る事で目標を達成しようという考え方だから。「弱者に歩調を合わせるだなんて、そんなやり方で競争に生き残れるか」と反発を食らうだろう。
ただこの山登りのリーダーシップ。興味深い事に、野生のオオカミの群れが原野を移動する時も、これと同様の配置で進むと言う。という事は、厳しい野生の世界を生き残るのに、もっとも優れたリーダーシップの在り方ではないのか、という想像ができる。
弱者を切り捨て強者のみが残る。この考え方を信奉する人も組織も多いだろう。しかし、長い月日が過ぎた後、弱肉強食主義の人や組織が自然淘汰の波に流される可能性も考えた方がいい。長い目で見れば、弱肉強食主義こそが、生き残る事の出来なかった「弱い肉」だった、なんていうのは、それこそ皮肉だろう。
疫病の解決策もそうだが、たぶんこれから世の中全体に、なかなか明確な解決策が見定めがたい、迷路のような状態に見舞われる機会が増えると思う。そんな時に必要とされるリーダーシップの性質は、弱者も強者も、考え方の違いも合わせて包容できるふところの深さだと私は思っている。
おそらく、これからの混乱の中で、そんなリーダーシップが自然淘汰の中から生き残り、世の中の形になっていくのではないか。
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