山の木々も、もはや葉を落としきった樹の方が多くなった。丹沢の標高の高い所では、すでに冬の様相だろう。藤野の景色も、晩秋という言葉がふさわしい感じになってきたが、これが12月に入ると、初冬という言葉がふさわしくなってくるのだろう。
相変わらず道志川沿いのキャンプ場は賑わっているが、さすがにピークは過ぎた印象だ。それでも、平日でもテントが並んでいるのには驚く。それも、家族連れだけでなく、一人だけのキャンプも流行っているそうな。なんか、山ふところに抱かれて、ほっと一息ついて、のんびりと時間を過ごしたい雰囲気なのかな、今の世の中は。
先日、あるご老人が住んでた家から、使われなくなった農機具などを運ぶ手伝いをした。ビニールハウス用の支柱とか、害獣除けの網とか、鎌とか鍬とか。漬け物用の樽なんかも沢山あったし、一輪車や竹製の背負いかごなんかもあった。さすがに使いこんだものなので、売却しようにも値段はつかないものばかりだったが、いざこれらを新品で買おうとしたら、それなりの出費になるからね。
これらの道具は、これから畑を拡充したいと考えている人たちの手に渡りました。ゴミにならずに有効に活かされれば嬉しい。
それでも結局、多くの品物が、「さすがにこれは使わないなぁ」と判断され、業者によって廃棄物として処分される。昔の人は物を溜め込むからねぇ。今回の農機具の運び出しは、片付け業者が査定に来る前に、大急ぎで行った「救出」みたいなものだったけれど、もっと念入りに時間をかけて探せば、まだまだ有用な物もあったかもしれない。
農機具でも、鎌とか鍬なら中古品を問題なく使えるけれど、耕耘機とか工業製品になると難しい問題も出て来る。ちゃんと整備がされている中古品ならいいのだけど、手入れもされずに長い時間が経過した品は、機械の各部の経年劣化で不動品になっている場合が多い。
また、劣化した部品が判明し、部品を交換して再生しようにも、すでに部品の製造が終了して交換部品が手に入らない場合だって珍しくなく、その品を製造した会社そのものが無くなっている場合もある。
これはもう、機械を作っている全ての会社にお願いしたい所だけど、「あー、その型の機械ねえ、もう部品が無いから修理できないよ」なんて言われない製品を作ってくれないものだろうか。そりゃあ、日々進化し続けようと思えば、過去の製品がどんどん時代遅れになってしまうのも判るんですけどね。
よく町工場で、子供が工場を継がなかったので工場が終わってしまう、という話がある。こういう話を聞くと、親が使っていた機械を使えば、すぐに仕事が引き継げるだろう、と思いがちだ。でも実際はなかなかそうはいかない。親が使っていた機械は、たとえ今は動いていても、いざ故障した場合、すでに修理は不可能になっている機械であることが多い。
「次に故障したら、もう直せないよ」、そう言われている機械ばかりが残されていては、子供だって工場を継ぐ気にはなれないだろう。親の世代が頑張って揃えた機械も、資産ではなく負の遺産として扱われてしまう。仕事を引き継ぐというのは、なかなか大変だ。
こういった機械を作っている会社もなぁ、「次の世代に継ぎやすい機械」を作る方向に舵をとってはくれないものか。「そんなことをしたら新製品が売れなくなってしまう」という気持ちも判るけれど、下手をしたら、この世から工場が、世代を重ねるほど減って行く世の中になってしまう。それでは、機械を作っている会社にとっても、未来は先細りしか無くなってしまうのではないか。
ああそうだ、コンピューターを作っている会社、ソフトを作っている会社にもお願いしたいものだ。「あなたの使ってるパソコンでは、もうこの機能は使えません」というのを、無くしてもらえませんかね。この分野は数年経つだけで時代遅れになってしまう。
物作りにしろ、サービス業にしろ、これから、今までと同じやり方、今までと同じ常識では通用しなくなる事態も増えて行く事だろう。そんな中、自分のやっている仕事は持続可能性がある、と自信を持って言えるのは、案外、少数派なのではないか。
ある時、急に自分のしている仕事が「社会には無用」と否定され、慌てて泣きわめく事だってあるかもしれない。そうならないためには、世の中の変化を注目しながら、絶えず、世間が真に必要としている仕事は何か、模索し続けている必要がある。「自分はこれだけやっていればいいんだ」と閉鎖的にはならず、いろんな分野に興味を持って関わっていた方が、いいかもしれない。
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