この秋は、透明感のある青空をあまり見る機会が無かったが、ここへきて、そんな秋らしい深い青空を見る様になった。徐々に山の木々も色づきを深め、北海道では初雪もあったとか。
ただ北海道と言えば、また新型肺炎が流行り始めているみたいだ。やはり寒くなると流行が始まるのだろうか。藤野でも温泉病院で感染者を出した。幸い、重傷に至る患者は出なかったそうだけど、この病院と名前の似ている「藤野やまなみ温泉」で感染者が出たと誤解される噂も流れたらしい。気の毒なとばっちりで、この温泉では感染者は出していない。
たぶんこれから、いろんな噂話にピリピリするようになるのかもしれないな。
この日記ではしばしば、今年は道志川沿いのキャンプ場に来る客が多い、という事を書いた。ただ、昨年の台風で、数あるキャンプ場でもひときわ甚大な被害を受けた「このまざわキャンプ場」は、なかなか客の入りの回復が思わしくないのだとか。
うーん、私の近所のキャンプ場は満員で、入場する車が列を作って待っている所も多いんだけどな。また客足が戻ればいいけれど。
このまざわキャンプ場
大阪で、都構想をめぐる住民投票が行われ、僅差ではあったが、大阪の民意は都構想を否定に傾いた。私は大阪の住民ではないので、この問題を肌感覚で実感できないのだけど、いろいろと思う事がある。
藤野は、市町村合併で相模原市と合併した。これには賛成反対の民意を問う時期があったし、けっこう熾烈な争いもあった。その後、相模原市は今度は政令指定都市を目指していった。その前の市町村合併も、政令指定都市を目指すための段階だったのは確かだろう。
私自身は、市町村合併には反対の立場だったが、その頃の住民の民意の中には、「大きくなるのは良い事だろう」という気風がある事を強く感じたし、その事が、もどかしかった。
昭和の高度経済成長の時代を生きて来た人々には、村が町になり、町が市になり、それが更に大都市になり、という大きく成長して行く姿を、当然のように目にして来た。その光景は繁栄の象徴であり、誰も異を唱えない成功体験だった。
ただ、時代が平成になった頃から、明確な目標も無く、ただ大きくなれば、自動的にみんなが幸せになるんじゃないか、という気持ちが、惰性のように続いたと思う。
「大きくなる」「成長する」。こういった現象には、生理的、本能的な喜びがある。小さい会社が大企業になり、村は大都会になる。この現象に、「はたして、それは真に幸福に至る道なのか」と異を唱え、人々の同意を求める事は非常に難しい。
選挙や住民投票で、町が合併されて大きな市になる事、政令指定都市を目指す事、こういった上位の肩書きを目指そうと政治家が言えば、多くの有権者はそこに流れた。そして、「小さな町のままでいいのではないか」という意見は、なかなか主流にはなれなかった。
それが、今回の大阪都構想の件では、「都にならなくてもいい」という気持ちがまさったわけで、私には、ずいぶん珍しい現象が起きたな、と思った。勿論、実態は複雑なのだろう。保守票の分裂もあったかもしれない。
一つ、都構想に対して「時期が悪かったね」と思う事をあげると、新型肺炎の流行があると思う。この疫病で、社会の動きは一時停止し、その後も回復への足取りも悪く、多くの人々が仕事を失ったり、減らしたりした。住宅ローンが払えなくなって住処を失いかねない人も多く出た。
つまり、疫病の流行した今は、けっこう多くの人々が、「生存」の危機をひしひしと感じたに違いない。産業界の停滞や壊死の進行で、生きて行く基盤が無くなるかもしれない、そんな不安が広まった。
こんなとき政治がしなければならないのは、人々の生存の保証だろう。それに対して、政治家が打ち上げる、「大きくなろう」「上位の肩書きを持とう」という提案は、非常に空虚な、中身の伴わない政策に響いてしまう。
これは都構想だけではない。オリンピックをやろう、新幹線を作ろう、カジノを作ろう。こういった政策目標は、日々、足下の生活基盤が崩れて行く事を実感している人々には、遊び半分で政治をもてあそんでいる様に見えてしまうのではないか。
しばらく、政治の現場は、本気で怒りだしかねない民衆を相手に活動をする事になる。それだけの実力と見識があるのかどうか。
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