2020年 11月1日

 10月31日の土曜日の朝は初霜になった。これから山の木々の色づきも加速するだろうし、葉を落とす勢いも増すだろう。少しずつ冬が近づきつつある。その日は満月になり、煌煌と明るく澄んだ月光が照らしていたが、トルコ西部のエーゲ海を震源とした大きな地震があり、津波も発生して多くの負傷者を出していると言う。

 どうも、大きな地震というのは満月や新月の辺りで起きやすいらしい。神奈川県もな、三浦半島とかで異臭騒ぎが頻発しているけれど、もっともありそうな理由をあげるとしたら、やはり地殻変動だろう。そんな大地震なんて起きて欲しくないのは当然だけど、いずれは必ず起きるものでもある。こんな時に非常食の確認とかしておくのも良いかもしれない。

 11月に入り、どうやら今年は、昨年のような豪雨被害は心配しなくてもよさそうな時期になった。勿論これは、藤野に関して言えば、であって、今年だって熊本を始め、西日本各地や岐阜県や山形県で水害に見舞われている。毎年の様に、どこかで過去に経験が無いような豪雨被害がある。藤野は昨年にそれがあったわけだが。

 なんだか、毎年日本のどこかで爆撃があるみたいだ。

 10月4日の日記で、相模原市で「気候非常事態宣言」というものを表明した事について書いた。どうやら政府も、同様の目標を定めたらしい。ただ、二酸化炭素の排出削減について触れると、たちまちじゃあ原発を使おうという話をしたがるのは相変わらずだ。行動が判りやすすぎて子供じみている。

 原発が二酸化炭素を排出しないというのは、まあ嘘ではない。原発に限って言えばだ。しかし、原発の燃料になるウランを鉱石の段階から精製して濃縮して、燃料として使える様になるまでには膨大なエネルギーが必要になる。そこに費やされるエネルギーの中には石油由来のエネルギーも当然混じっているわけで、現時点で、原発は二酸化炭素を排出しないという理屈は詭弁に近い。

 原発が再び有望なエネルギー源として認められるには、様々な条件を克服する必要があるだろう。幾つかあげると、核のゴミを排出しない事、事故を起こしても安全な事、核兵器の製造に結びつかない事。要するに、普通の家庭で使えるような原発が出来れば、誰も反対はしまい。 

 そんなもの出来るわけが無い、と言われるかもしれないが、科学的であろうとしたら、あまり安易に「絶対できない」なんて言わない方がいいだろう。「まさか」と驚くような進歩が、今後あるかもしれないし。

 これは私のあやふやな「勘」に過ぎないが、原発が世界的に窮地に追いやられる理由になりはしないか、と思っているものが一つある。それは熱の放出だ。二酸化炭素などの温室効果ガスの排出の問題が一段落したら、気候変動を抑止するために次にヤリダマにあがるのが熱の問題だと思っているのです。

 金属の精錬やガラスの製造など、産業の世界では日々大量の熱を放って活動している。地球を温暖化させないように、という方針からすれば、産業界が排出していい熱の総量も、規制の対象になるのではないか。そうなると、物作りの手法でも、なるべく熱を出さない手法、熱を使わない手法が推奨される様になってくる。そうなるとなぁ、既存の原発は太刀打ちできまい。何しろ大量の熱を海に垂れ流しているのが現状だから。

 いずれは、海に流してもいい熱の量も、規制されてくるのではなかろうか、と思っています。こうなると熱も「廃棄物」扱いだね。

 そんなことで産業が成り立つはずが無い、と言われるかもしれない。しかしこれも、安易に「絶対成り立たない」なんて言わない方が良いと思う。蚕が常温常圧の状態で絹糸を作る様に、常温常圧でナイロンを作る時代だって、来ないとも限らない。いやむしろ、未来の科学は、その辺りにあるんじゃないのか。

 どうもこれまでの世の中、悪人がつるんで世界を好き放題動かして来た部分があったが、これから少し変わって来るような予感がある。なにも「つるむ」のは悪人ばかりではあるまい。善良な志を持ったもの達が、集いあって流れを作ることだって無いはずはない。

 ただ、悪人って欲望さえあれば動くけれど、善良な人間って、理想とか志とか目標がないと動かないんだよね。これまではそういった目標がなかなか定まりにくかった。

 動物的な欲望だけで人間が動く時期が少しずつ終わり、動物的な欲望を越えた、人間的な使命に目覚めた人たちが合流し始める。そんな動きがそろそろ始まるかな、と思っています。

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