彼岸花という花は不思議なもので、彼岸に合わせた様に、ひゅるーっと細い茎を唐突に地上に現し、華やかな花を咲かせて、たちまち消えて行く。それ以外の季節は何をやっているのだろう。たぶん、この生き方が、彼岸花にとって最も適した戦略なのだろうけれど。
先週は中頃に台風が来るという話があり、個人的にはかなり緊張した。当初は関東を直撃する進路が予測されていたけれど、徐々に進路は東へと移動し、結局、通過したのは関東の東の海上だった。藤野では、雨は降り続いていたけれど、台風らしい大雨が降るわけでもなく、強風が吹くわけでもなかった。
太平洋の高気圧の弱まり方が早いのかな。ほんの2週間ほど前だったら、暑くて汗をだらだらと流す日もあったが、このところすっかり涼しくなった。朝晩は暖房が欲しいくらいで、実際、薪ストーブに火を入れた話を聞く。確か長期予報では、この秋は長い期間、平年よりも温暖な状況で推移すると言う話だったけど、予報が外れるのかな。まあ、まだ秋は始まったばかりだけどね。
この週は、「秋雨」という言葉が似合う、静かにしとしとと降る雨が続いた。なので今回はそんな写真ばっかりだよ。次の週は晴れが続くようだが。
こんな動画を見かけた。山里で、土地の人たちが自分達で道路を整備している。
農家による農道のコンクリート舗装
https://www.youtube.com/watch?v=h1Qh-AYVt9M
藤野でも、かつてはこんな事があちこちで行われていた。セメントとか資材は提供するから、自分達で作ってくれ、という道路。動画を見ると、重機を使っているし、コンクリートはミキサー車で運んで来て直接流し込んでいる。藤野で昔に行われた道路造りに比べると、だいぶ進化しているんだろうな。
今、こういう行動を実行できる山里って、どれくらいあるんだろう。一昔の事を思うと、だいぶ減っているんでしょうね。藤野の山里で、今、いきなりこういう事をやれと言われて、出来るかなぁ。ちょっと難しいんじゃないか。
こういった、いざとなったらたいていの事なら自分達で出来てしまう、という山里の姿は、日本人の原型を作って来たのだと思う。戦後の高度経済成長期、地方から都市へと若者達が就職に来て、様々な分野での物作りに携わって来たわけだけど、背景には、こんな逞しさがあったんじゃないかな。
今はどうだろう。みんな都会人になっちゃったからねぇ。勉強なら一通り出来るんだろうけれど、カラダで覚えた技術となると、乏しいんじゃなかろうか。
こんな、「たいがいの事なら自分達でできてしまう」というのが、本来の理想的なセーフティーネットの姿だろう。怪我や病気、仕事先の倒産、社会の急激な変化による生活基盤の破壊、などといった事態に直面しても、衣食住を含めて、とりあえずなんとかなる、という仕組みがあれば、人はそれほど怯える必要は無くなる。
前回も、「仕事が無くなって行く社会」について書いたけれど、そんな不安に対処する仕組みと言ったら、やはり、こんな形になるんじゃないかなぁ。
「仕事が無くなって行く社会」について考える時、決まって提案されるのがベーシックインカムだけど、個人的にはこの制度には警戒している。みんなにお金をばらまいてしまえ、というこの制度、一見、社会から不安を無くす特効薬に見えるけれど、この制度を続けて行くうちに、人々がこの制度に依存しきって、そこから脱出が不可能になり、ついには人々の生殺与奪の権を握る巨大な権力を生み出しかねない、と私は考えている。
巨大な災害が発生した時に、緊急的にベーシックインカムを使うのは構わないけれど、私としては、人々が「たいがいの事なら自分達で解決できてしまう共同体」を作った方が、真の安心には繋がるだろうと思う。
「たいがいの事なら自分達で解決できてしまう共同体」って何だよ、ずいぶん漠然とした表現だなぁ、と思われたかな。じゃあ、そういった仕組みをどうやって作るんだ、という疑問も湧くだろう。
私が思うに、時間はかかるだろうが、それほど難しくないんじゃないかとも思う。最初にあげた道路造りみたいに、「市にあまり金がなくてねぇ、資材は提供するから自分達で作ってよ」といった形からでも、道路以外の様々な仕組みが出来ていくのではないか。
これから全国各地で財政難には直面するだろうし、自治体が生き残りをかけて立ち上がろうとすれば、自然と、上記のような仕組みを考えざるを得なくなって来るはずだ。
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