2020年 9月20日

 篠原の消防小屋が新築となり、旧来の消防小屋は解体に向かって作業が進んでいる。それに伴って、長年、篠原を見守り続けて来た火の見櫓も解体となった。写真は、解体されて降ろされた櫓のてっぺんの部分。奥に、櫓の基礎の部分が写っている。

 寂しい気持ちはあるが、かといって保存してくれとも、無責任には言えないなぁという気持ちがある。昨年の台風では、打ちっぱなしのゴルフ練習場の鉄塔が倒れて被害を出す事件があったが、この火の見櫓だって、経年で痛みが進行して強度が無くなれば、台風で倒れて被害を出すかもしれない。解体して適正に処分できる機会と予算があるのなら、その時にきちんと処分した方が、後々の事を考えると安心だろう。風情のある光景なんだけどねぇ、火の見櫓のある山里の景色って。

 まあ実際、この火の見櫓が目的通りの役割を演じた事は、近年はほとんどあるまい。それにこれからは、災害時に周囲を観測するのでも、ドローンを飛ばしたり衛星画像を使ったりするんじゃないかなぁ。

 ちょっと気になるのは、これから先、火の見櫓を壊し続けていったら、日本の一昔前を舞台にした映画を作る時、困るんじゃないかしらん。まあ、コンピューターで合成すればいいのかもしれないが。

 首相が代わり、新しい政権になったけど、その目標が前政権の継承だからねぇ。志の高さは前代未聞だ。

 ただ、今の日本の政権には、あまり大きな事は出来ない構造的な理由があるのは判る。既に政府は、利権を分配する役割を担いすぎているために、この世の中の構造そのものを大きく動かしかねない政策は、始めから出来ないようになっている。

 新型肺炎の対策の歯切れが悪いのも、既存の利権の構造を壊さない様にしか、政策が実行できないと言う理由があるのだろう。東日本大震災の時も、原発事故の対策がずいぶん歯切れが悪かったが、そこには「原発のいらない社会」に変化させるのをなんとか防ごうという気持ちがあっただろう。

 あえて乱暴に極論すれば、何か世の中に問題が起こったとき、そして政府以外の存在がその問題を鮮やかに解決してしまうとき、政府は存在意義を疑われ、同時に利権の喪失もありえてしまう。今の政府は、そんな事態に対する「おびえ」を常に感じているような気がしてならない。

 おびえているからこそ、ますます既存の利権構造を手放すまいと死守するようになる。保守政権と言うより守株政権に近い。世の中に変化を起こしたくないのだ。

 ただこの傾向、何も政府に限った事ではなくて、この世の中、総てがその点ではおびえている。最近は、マスコミの記事の中でも当たり前の様に「○年後に無くなる職業はこれだ」みたいな、人を不安にさせる記事が出る様になった。

 これからの未来、例えば自動車だって内燃機関から電気式に変わっているだろう。そしたら部品点数だって、今よりもずっと減っているに違いない。下手すりゃ故障も殆ど無くなって、車検制度も必要なくなるかもしれない。事故を起こさないための安全機能も更に高度化し、もはや事故を起こすのが難しいほどになるのに、それほど時間はかからないだろう。

 そうなると、大量の仕事が喪失されるのが判る。これは私の仕事だから、これは私の飯の種だからと、その仕事の存続を願っても、仕事の方から消えて行く。

 この時代の流れを思うとき、利権に頼った政治というものが、ずいぶん不確かで、先行き不透明・・・というか、先に行くほど細くなって行く道だと判る。一つ、また一つと利権が消えて行く世の中で、政治の仕事も縮小していく。

 数十年先には、殆ど政治の仕事は無くなっているかもしれない。ただ時々、コンピューターでは解決できない問題が出た時に、「○○問題対策委員会」を立ち上げて、課題の解決を図り、解決できたら委員会を解散するのかな。

 未来に安定した世の中を作ろうとしたら、「無くなって行く仕事」とは別の原理で、世の中を動かす仕組みが必要になって来る。

 たぶん、この仕組みは、あまりガツガツした人が作る物ではないだろう。儲けよう、他人よりも一歩先を行って出し抜こう、独占しよう、そういった利益追求の精神とは、異なる精神から生まれて来ると思う。

 控えめで、もの静かで、他人よりも一歩遅れるくらいの気持ちで世の中を作って行く感じかな。現代の常識に染まっている人には、まさかこういった性格の人間が、次の世の中を作って行くなんて、想像もできないんじゃなかろうか。

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